ゆく年くる年

osamuharada2015-12-27

去年にくらべて今年、世の中は笑劇のごときアベ独裁政権のおかげで、さらに終末感が深まったような気がしています。去年はコレでしたが→[id:osamuharada:20141226]
特にひどくなったなと実感するのが、マスコミの大政翼賛ぶり。新聞が売れなくなったので、新聞社は減税してもらうかわりに、喜んでアホ政権の宣伝をしちゃう。読者である国民の増税にはお構いなし。反体制的な発言をしたら即クビ、というのが常套手段になっている。「ジャーナリスト」もカネ次第、サノケン並みの「広告屋」に成り下がるとは情けなや…。気分転換に、時代を超えて先人の言説に耳を傾けてみよう、と古本を読みあさっている年の瀬です。
1955年、詩人・北園克衛のエッセイ。今の状況と同じようだなと思われることが書かれていたので、驚愕いたしました。なんとこれが六十年前の記述なのです。《 現代の日本のジャーナリズムの欠点は、真の知性というものを欠いているところにある。これは新聞や雑誌は言うに及ばず、ラジオに於いて、またテレビに於いても同様である。これはいったいジャーナリストが悪いのか、それとも大衆が悪いのか、それを簡単に決めることはできないが、おそらく、両方に罪はあるのであろう。》とあり、あの頃はテレビ放送が始まったばかりの時代でしたが、すでに《 テレビも同様であって大衆が自らの権利にめざめ、主張をしない限り、この音と光の暴力は際限もなく続くものと覚悟するより他はないであろう。》と明言していました。はたして六十年前の悪い予感は的中している。かつて社会評論家・大宅壮一が唱えた「一億総白痴化」は、1957年のこと。テレビ(新聞社が親会社)を受動的に視聴していると、自らの創造力や思考能力を失ってしまうことを危惧していました。今年からは、その言葉「一億」がクリティックではなく、むしろ政略のほうに反転して「一億総活躍」とあいなった。国民はもっと労働して納税をせよ! これがさらにゆき着く先は富国強兵となり、やがて「一億玉砕」が終着点でしょうか。北園克衛は、さらに《 NHKの愚劣さには、官僚と軍閥の凶暴な余韻が根強くのこっているのを感じないわけにはいかない。》とも書いていたのです。
さもあらばあれ、シネ漫画のある旨い自然派ワインを飲みつつ、過ぎゆくアホらしき時代をこれからも傍観していよう。個人的にはこのシネの絵に近い楽天的な一年を過ごすことができました。風刺漫画家 Siné→[id:osamuharada:20150701]

お笑いデザインノート

osamuharada2015-12-20

今年は最後まで、東京五輪デザイン騒動で楽しませていただいた。
【 新国立競技場デザイン 】では、撤回されたザハさん(イラク出身)の「生ガキ」原案のかわりに、こんどは純国産にこだわり「和テイスト」に変更されたよし。A案は「法隆寺」をイメージし、B案はなんと「縄文文化」からヒントを得たのだそうだ。ヤツガレには両方とも興味が尽きない美術史上の主題だったので、それがただの大人の運動会に結びつくとは一瞬 意表を突かれたな。しかしあとでそのデザインを拝見したら爆笑したな。イメージの貧困もここまできたかと。そもそもそんな馬鹿げたことやっていないで、単なる運動会場なんだから、機能的デザインさえしっかりできてりゃ、それでいいんじゃないの。
東京五輪エンブレムデザイン 】では、昨日の記事でまた大いに笑えた。いわく《「密室」の審査に隠されていた不正が暴かれた。》として、《 佐野研二郎氏ら一部のデザイナーを優遇する“裏工作”が行われていたことが明らかになった。》のだそうだ。どう明らかになったかとゆうと、一部始終がDVDに録画されていたからなのだ。《 何かをささやく姿 》とミステリー調の小見出しあり、そしてついに事件はこうして暴かれたのであった。《 104点のエンブレム案が机上に並ぶ。審査委員に与えられた20票のチップのうち、10票を投じただけで椅子に座り、談笑していた永井一正審査委員代表に、組織委のマーケティング局長の槙英俊氏とクリエイティブ・ディレクターの高崎卓馬氏が近づき、何かをささやく。その後、高崎氏が1票しか獲得していない2点の作品を指さすと、永井氏はそこに自らのチップを置いた。こうした状況は1次審査を記録したDVD映像に残されており、不正を見破る“ 動かぬ証拠 ”となった。》(産経新聞) ちょっと「火曜サスペンス劇場」風でいい記事だよね。真犯人はぼくが推理(日の丸デザインへのこだわりが動機)していたとおり、やっぱり談笑していた「あの人」だったでしょ。「火サス」だと真犯人は必ず海岸の崖っぷちまで追いつめられて逮捕のはずだけど、この事件はそこまでカッコよくはいかないな。ともあれこのDVD拝見したいです。予想では三流のお笑いコントくらいにはなっていると思います。
さすがNETGEEKさんはここまで書く→http://netgeek.biz/archives/61814
追記:A案の競技場デザイン審査にも出来レース疑惑が。→http://lite-ra.com/i/2015/12/post-1814-entry.html ちなみにスガ官房長官の息子は大成建設、これも笑える。

ジャーマン ベーカリー

osamuharada2015-12-17

デジタルリマスタリングされた小津安二郎監督作品を、大型テレビにて再見。 すでに何度も観て、見慣れた映像であっても、改めて見ると美術の細部までくっきり映し出されているから、小道具類もぼくには新鮮で見飽きることがなかった。
‘60年『秋日和』で、司葉子が 買って帰った洋菓子の包装紙が【ユーハイム】なのは前から分かっていましたが、昨日NHKで放映された ‘59年『お早よう』を観ていたら、おみやげに久我美子の買ってきた菓子折りは、【ジャーマン ベーカリー】の包装紙だったとついに判明できたのであります。家は大田区蒲田の多摩川沿いあたりと想定しているようなので、久我美子はお勤め帰りに有楽町か田園調布の駅前にあったジャーマン ベーカリーへ寄ったことにでもしたのでしょう。「GB」のロゴマークも確認。あの頃の東京では、確かにこのヨーロッパスタイルの二店舗はアカ抜けていたのです。さすが美術考証には徹底的にこだわる小津映画。
十代の頃の学校帰り、渋谷の東急文化会館にあったこの両店にはポン友たちとよくいきました。特に2階にあった【ジャーマン ベーカリー】のチーズバーガー(付け合わせのコールスローも旨かった)と、レモンパイ(上にメレンゲが乗っかっている)が好きでした。そして買ったパンを入れる紙袋(白地に黄色と紫のチェック柄とロゴ)や、菓子折り用の包装紙(映画で使われていた)のデザインが大好きで、スクラップして持っていました。また店で使われていたカップ&ソーサーは、円周に青いチェッカー模様の帯があり、「GB」のロゴが横についたものでした。のちにオサムグッズで陶器にデザインしたチェッカー模様は、ぼくなりのオマージュでした。
我々が高校生のとき、【ジャーマン ベーカリー】に本物のドイツ人のウェイトレスさんが入ってきました。このひとがいつも無愛想で、いかついオバサン(実は若かったのかも)だったから、すかさず「ナチス」とあだ名をつけては、みんなで恐れていたこともありました。つまりデザインといい店員さんといい、雰囲気にちょっとした外国風情があったわけね。
イラスト稼業についた70年代は、やはり古くからあった銀座4丁目の【ジャーマンベーカリー】のほうへ足繁く通いました。銀ブラの途中でも、仕事の打ち合わせでも、何かというとジャーマンでした。店はドイツというより五十年代アメリカ風で、ちょっとノスタルジックでしたがぼくには落ち着ける場所なのでした。そのうち新しいビルに建て替えられてしまい、がらっとセンスが変わったので足が遠のきました。有楽町店もあったけれどそちらはもとより気に入らず、横浜元町店には、デートでたまに横浜へ行けば必ず寄りました。いまはなき【ジャーマンベーカリ―】は、ヤツガレの十代二十代頃のフランチャイズなのでした。
オマケ:映画『お早よう』で新たに見つけたもの。よく見ないと分かりづらいけれど、佐田啓二沢村貞子姉弟が住んでいるアパートの場面に、チラっと内藤ルネさんデザインの「座布団」が敷かれていたのを確認しましたよ。柄は白地に女の子と車や犬が藍一色で描かれている。多分、市販されていた浴衣用の布地だと思います。ちょっと年齢的にはありえないけれど、画面上の色彩的バランスとしては見事に調和していました。小津映画はどこをとっても完璧なコンポジション

邪馬台国にて

osamuharada2015-12-11

冬の沖縄本島南部は、今日も初夏の天候のようで爽快。Tシャツひとつで暮らせる。それにまったく暖房費と衣料費がかからない。魚介と野菜果物は地産地消ですむから食費もかさまない。ただ米に関しては、沖縄食糧が福島産米を食べて応援することにしたそうなので、外食には注意が必要になった。内食は熊本産のBIO米をネット購入。煎茶はいつもの九州産。写真は窓外の景色で、琉球石灰岩の大きな岩があり、その上には草木が繁茂している。沖縄は珊瑚が積もってできた石灰岩の島なのです。
ウチナーンチュ(沖縄人)のポン友は、辺野古デモに参加しているが、数で言えば老人組が圧倒的らしい。若者に関心がほとんどないところは、本土のヤマトーンチュ(大和人)と同じことなのか。 先週は、まず米軍キャンプ・フォスター(普天間の北西)を返還してくれたら、そこをデズニーランドにする予定だと官房長官が嬉しげに発表していた。ウチナーの子供たちも若者もやはり喜ぶのだろうか。いずれ政権が主導するカジノ法案が通れば、大人たちはギャンブル依存症にもなるのだろうか。
ともあれ1700年前、沖縄本島北谷沖の海底20mに、巨大地震地盤沈下で沈んだと考えられる邪馬壹國(邪馬台国)。ヤツガレはすでにココだと確定するに至っています。その陸側にデズニーシーだかランドができたら、もう誰も海底遺跡や古代史になんかに興味はなくなるよね。もとより邪馬台国は大和にあったことにしておかないと、「日本書紀」が実は簒奪の歴史だったということがバレちゃう。卑弥呼が沖縄にいたなんて言おうものなら、ニュー大政翼賛会からも風評被害だと叱られちゃいそうだ。
もし古代史好きで、まだ読まれていない方は是非(ヒマつぶしに)こちらをどうぞ。ぼくの「沖縄邪馬台国論」まとめ→ http://d.hatena.ne.jp/osamuharada/searchdiary?word=%BC%D9%C7%CF%C2%E6%B9%F1 (スクロールして下段の2011年4月からお読みくださいね。)

PATER’S GALLERY 三十周年

osamuharada2015-12-05

「ペーターズ・ギャラリー」が始まって、今年で三十周年目だと聞き、ひとり万感の思いにかられる。光陰矢の如し。
確か、最初の展覧会が「パレットくらぶ展」だったと思います(その後、毎年の恒例になりました)。古い木造の貸家が空いたのをリノベして、白ペンキで壁を塗り、ペーター佐藤の個人的なギャラリーがスタートしました。ペーター自身の作品展や、ペーターが好きなイラストレーターの展覧会をいくつも企画しました。そのうち、過去の作家の展示もしてみようということになり、拙著『ぼくの美術帖』から、宮田重雄の挿絵展を企画しました。ペーターと二人で、宮田先生の娘さんの洋子さん宅に伺い、主のいないアトリエにて、展示のための挿絵原画を選ばせていただいた。残っていた原画を次々と発見しているうちに、二人とも感動のあまり同時に身震いをしていた。そんな至福の時でした。その歓喜を引きずりながら展示をしたので、忘れられぬ展覧会の一つになりました。複写の写真は、その「宮田重雄展」にて、 ペーターと宮田洋子さんとぼくの三人。四半世紀前です。http://osamuharada.tumblr.com/
ペーターが亡くなる二年くらい前だったか、古いギャラリーを壊した跡地に、現在の建物を設計して新築。その初日もパレットクラブの仲間で、陶磁器に絵付けをして展示しました。その後、健康を害しても、なおまだ一緒に何かやろうね、と様々な計画をたててはいたけれど、ペーター佐藤はついに早すぎる死を迎えてしまいました。かにかくに、三十年は過ぎてゆきました。
ペーターズの三十周年記念展「アーカイブス」→http://d.hatena.ne.jp/paters/20151205
PATER'S SHOP & GALLERY →http://www.paters.co.jp

映画と美術ノート

osamuharada2015-12-01

好きな【女優で観る】:英国のヘレン・ミレンの新作 WOMAN IN GOLD・ 邦題『 黄金のアデーレ・名画の帰還 』を観ました。好きではないが クリムト の絵がテーマになっているので、さらに興味津々。初日に予約して入った映画館はガラガラ(観客5人)でした。女優といっても70歳だし、画家クリムトを知ってる人も少ないから、まぁしょうがないかな。
エリザベス女王を演じたヘレン・ミレンが、こんどはオーストリアからアメリカへ亡命したユダヤ人の役。ヘレンは黒い瞳のカラーコンタクトで、セレブ・ユダヤ人女性に変身していた。映画のストーリーは実話だけれど、相も変わらぬ〈 ホロコーストもの 〉。ナチスに奪われた クリムト の絵画を取り戻した、というユダヤ人以外にはどうでもいいような話でした。それをあたかも「美談」のようにいわれても、あんまり感情移入できないのね。せっかくのヘレンの名演技がもったいない。
【絵画で観る】:それより冒頭のタイトルで、クリムト が「アデーレの肖像画」を描いているシーンが印象的でした。絵に金箔を貼るところから始まる。その肖像画のコスチュームを見て驚嘆した。着ているドレスの上から下まで、三角形ピラミッドに目玉の図柄がズラーっと並んでいるではないか。フリーメーソンのエンブレムや、アメリカ1ドル札の裏面にあるピラミッドに目、と同じく不気味なシンボルマーク。この意味するところが解れば、妻アデーレの肖像画クリムトに描かせたパトロンの正体も想像がつくでしょう( Conspiracy 好きのかたはご自分でお調べくださいね)。
この絵は、めぐりめぐって現在ニューヨークの「ノイエ・ギャラリー」にあります。化粧品会社の社長ロナルド・ローダー氏が、ヘレン・ミレン演じたユダヤ人女性から、なんと156億円で購入(2006年)。実はこの社長さん、「世界ユダヤ人会議」の議長でもある(どんな組織かこれもご自分で調べてね)。そして今年、ヘレン・ミレンはその「世界ユダヤ人会議」から特別名誉賞なるものを受賞していたのです。美術も映画界も、ほとんどユダヤ人が支配しているわけですから、この映画も最初からアカデミー賞ノミネートを狙って作られたといえるでしょう。
そういえば、ついこないだ観たばかりの、ジョージ・クルーニー監督・脚本・制作・主演の映画 The Monuments Men・ 邦題『 ミケランジェロ・プロジェクト 』も、同じくヒトラーナチスがフランスから強奪した美術作品を奪い返すストーリー(実話)でした。好きな女優のケイト・ブランシェットと、アクションがうまいマット・デイモンが出演しているので、わざわざ映画館へ足を運んだのでした。ところが、あまりにつまらない映画だったので、観たことさえ忘れていた。今ことのついでに思い出しました。同じような話なら、むかし観た『 大列車作戦 』(1964年)の方が、エンターテインメントとしても、はるかに面白かったな。こっちは監督がジョン・フランケンハイマー。主演バート・ランカスターのアクションもので、フランス女優ジャンヌ・モローが出演していた。これもついでに思い出しました。
結局はユダヤの御用絵師だった クリムト について、前にちょっと書いていました。→[id:osamuharada:20110725]
ヤツガレの、好きな女優で観るリスト。→[id:osamuharada:20130530] (後の追加分あり)

ポン友

osamuharada2015-11-24

オヤジは、旧友のことを「あいつは俺のポン友だよ」などとよく言っていた。中国語の「朋友」からきている外来語で、昭和ひとけた世代まではよく使われていたようです。「ポン友」とオヤジの口調で聞いていたせいか、若い頃からの遊び仲間で、会えばすぐ昔に戻れるような、古い親友のことだと思いこんでいました。
ヤツガレもこの歳になってみると、生き残り「ポン友」の数も少なくなってくる。先日、そのポン友の一人である Kが、NHKの番組『にっぽん縦断こころ旅』の録画DVDをくれた。火野正平氏が、Kの書いた応募手紙を読んでいる。北海道は洞爺湖で、大学時代の空手部合宿のときの思い出話。クスッと笑っちゃうような調子で、さすがによく書けているなと思った。あとでKがいうには、これは本当の話ではあるが、〈いたずら心〉で書いて出してみたそうだ。まずハゲのネタで笑わせてツカミを取り、火野氏にNHKで「ストリッパー」という言葉を二度もしゃべらせ、最後に「知床旅情」を森繁風に歌わせることに成功したんだぞという。Kはスポーツ新聞の記者 (のちに社長)になった男だから、人の心を掴むキャッチフレーズのプロともいえる。何だ、ただのヒマつぶしだったのかよ。
それにしても、Kの他愛ない〈いたずら心〉というのは、我々が十代の頃に共通した遊びだった。もう一人のポン友A (鬼籍に入る) との、学生時代の三人旅が懐かしい。よく海や山でキャンプをした。お互いに〈いたずら心〉で、お互いをからかったり、バカ笑いをしながら「だだら遊び」をくりかえしていた。「ポン友」Kには、退職した今こそ、かつての〈いたずら心〉を働かせ、人からクソジジイと呼ばれるような「文人墨客」になってくれることを密かに願っています。

東京外食事情

osamuharada2015-11-17

さすらいの渡り鳥、生まれ故郷の東京へ戻ると「外食」で難渋しています。誰がなんと言おうともヤツガレは〈ベクレルフリー飲食主義者〉に転向してしまったので、世界50ヶ国が輸入を規制している東日本産の食材は口にできない。食べて応援しているのは西日本産のみという主義。ただし主張はしない。 ある後輩は、ハラダさん変人だからなァと笑い、ある朋輩は、もうこの歳なら何を食ったって同じことだぜと笑う。変人でも老いぼれでもかまわない、食べることぐらい好きにさせてもらいたいですな。
江戸前鮨のほうはすっかり断念できたけれど、蕎麦は地方で食べてもどこかピンとこないので、昔からのお馴染み、日本橋【 室町 砂場 】へと足が向いてしまう。名代の「ざる」で、ああやっと東京へ帰ったな、という気がしてくる。ごま油で揚げた小海老のかき揚で、ここの名物「天ざる」。辛口の菊正宗がピタリと合う。灘の菊正宗、吉野杉の香りゆかしき「樽酒」といえば 銀座【 はち巻 岡田 】も東京では避けて通れない店。三代目が今も昔の東京の味覚をしっかりと伝えてくれる。いまのところ、この素晴らしい東京の老舗二店だけは 主義を忘れて行っちゃいます。
参考:農林水産省が公表(毎月更新)している世界約50ヶ国の放射能「諸外国・地域の規制措置」(平成28年7月18日)→ http://www.maff.go.jp/j/export/e_info/pdf/kisei_all_160718.pdf (ほとんどの国が食べて応援してはいない)

東京の悪口

osamuharada2015-11-16

愛読しているユーモア作家・獅子文六に、『東京の悪口』(1959年刊) というエッセイ集があります。そのなかの一節。戦後、地方から東京へと流入する人口が急増したので、東京人としては息苦しさを感じるようになってきた。そこで文六先生は東京の人口密度を下げるにはどうしたらよかろうか、苦肉の策を考えた。
《 とにかく、東京をどうにかしなくてはならない。私の考えでは、まず 第一に、都庁が全力をあげて 厭人思想 を鼓舞することである。》と、東京都民をしてみーんな「人間嫌い」にしちゃえばいいという。コメディ・フランセーズモリエールですね。さすれば東京から人はいなくなり、もっともっと暮らしやすくなる。それには、《 ガリヴァー旅行記とか、ショウペンハウエルの哲学書とか、正宗白鳥の小説とかいうものを、都民に無料配布して、人間とはロクなものではない、その人間が集まれば、いよいよロクなことは起らないということを、広くしらしめるのである。 都知事はじめ各職員が、巷に立って 孤独のいかに愛すべきこと、山林のいかに安らかなることを、都民に訴えるのである。》 確かに人間嫌いになれば、都会に人は集中しなくなるでしょう。《そして、真に東京都を愛する都民は、自から 都を離散することに於いて、愛情の完成を見出すであろう、という所以を強調するのである。》 これで東京はカラッポになるというアイデアなのでした。
これが半世紀前の東京ですが、残念ながらいまも人は増殖しつづけ、「厭人思想」など考えも及ばないことでしょう。誰も東京から出てゆかず、どこもかしこも人だらけ。渋谷スクランブル交差点など、いまや外国人の観光名所にさえなっている有様を文六先生に見せてあげたい。卒倒するだろうな。しかしふと考えてみたら、生まれながらの東京ッコであるぼくが「自から 都を離散する」ハメになっていた。3.11以降、ヤツガレは流偶の身となっております。さすらいの渡り鳥。
この↑写真は銀座6丁目。銀座松坂屋とテプコ(東京電力)のビルを解体して、東京最大級の商業施設をつくる予定らしい。その合同ビル新築のための工事現場。昨日、前を通りがかったら、巨大な鉄骨がすでに真っ赤に錆びていたのには驚いた。東京五輪に間に合わせるための突貫工事のせいか。なんだか不気味で不安になる。廃墟をつぶして廃墟をつくる、という感じ。銀座はいまや中国人ばかりで、ここからは東京都民も離散したようだ。中国人(95%は漢民族)は、世界人口の20%を占めている。このままじゃビルが完成する前に、銀座はチャイナタウンになっちゃうよ。
現代の東京ッコには「厭人思想」より、こっち↓がオススメです。

東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命

東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命

秋の読書ノート

osamuharada2015-11-05

絶好の秋日和。朝は、散歩がてら摘んできた草花を竹籠にいけて、煎茶を喫す。このところ午後はもっぱら読書を楽しんでいます。相変らずの乱読ですが、いま読んでいた本をちょっと紹介してみます(が、あまりに個人趣味すぎてつまらないかも)。
まず今秋の読書は、ヤツガレの古代史研究がテーマです。奈良時代前の【飛鳥】と、古代朝鮮「百済(くだら)」、それに「秦(はた)氏」の関係を調べています。それと関連して「飛鳥」の前身の国は、中央構造線より南側の吉野、熊野、東西の牟婁(むろ)郡、と広範囲にわたる国が、【扶桑國】(中国の『梁書倭人伝にのみ書かれている)ではないだろうか?という仮説に挑んでいるわけです。それに「伊勢神宮」のある伊勢は『梁書』にいう【女國】ではないのかとも考える。そして水銀を扱う秦氏と「丹生都比売(にゅうつひめ)神社」の歴史。こんな感じで、また歴史探偵ごっこにハマっているところです。
それで最近、追加購入して読んでいたのは、古本:『曽我三代と三つの飛鳥』(新泉社)『飛鳥・高松塚古墳』(学生社)。新刊:『奈良県の歴史散歩』(山川出版)『奈良歴史地図帖』(小学館)、それに近畿全域の地図などなど。
何しろこの【扶桑国】たるや、兵隊を持たず侵略戦争をしない国「無兵甲、不攻戦」と書かれているところが凄いのですよ。戦乱の五世紀、古墳時代に平和主義をつらぬいた国があった。そしてすぐお隣なりの伊勢が【女国】、ぼくの仮説では、天照大神卑弥呼、沖縄アマミキヨが宗教的に関連してくる。海洋系縄文人(自説)が黒潮に沿って、時代を経てつくったと思われる古代の国々に魅了され続けています。もすこし纏まりがついたら、またここにノートしますね(古代史ファンのかた向きですが)。
〈美術〉と〈歴史モノ〉がお好きなかたには、彫刻家・高村光雲の『 幕末維新回顧談 』(岩波文庫)をオススメしちゃいたい。江戸時代の仏師(職人)から明治の彫刻家(芸術家)になった人。座談の名手であったという光雲さんの口語体が親しみやすい。客観的でリアルな活写に、思わずタイムスリップしてしまった。さすが彫刻家の眼光や鋭し。この江戸から明治へ移り変わる頃は、いつも伊藤博文を中心課題として眺めるクセがついていたので、ぼくには血なまぐさい暗黒の時代認識だった。それが高村光雲さんのおかげで、この時代にも明るい光が射して見えてきた。古典落語で描かれたような、市井人の息吹を感じさせる。息子の彫刻家・高村光太郎の〈近代的自我〉には辟易としていたのだが、職人かたぎのオヤジさんにはスカッとさせられた。文学より、事実のほうが面白いこともある。
上の写真は、マイ図書室と茶室を兼ねた部屋。携帯の電波は入らず、Wi-Fiも届かない。何もせず静寂と日向ぼっこも楽しめる。小鳥たちとリスの鳴き声が、ときどき聴こえてくる。http://osamuharada.tumblr.com/

幕末維新懐古談 (岩波文庫)

幕末維新懐古談 (岩波文庫)

映画女優ノート

osamuharada2015-10-28

東京の映画館で、新作映画を「好きな女優で観る」したいなあと思っていたら、タイミングよく、その名も『アクトレス 女たちの舞台』が始まっていた。原題は ” SILIS MARIA ”。最近気に入っている18歳の【 クロエ・グレース・モレッツ 】ちゃんと、これも最近になって好きになってきた 51歳のフランス女優【 ジュリエット・ビノシュ 】が出演。二人も好きなアクトレスが出ているとは、これじゃ見逃せない。
クロエちゃんは、お子様向けアクション映画『キック・アス』のヒットガール役 (当時11歳)で人気を博した。子供なのに口汚くファックだシットだのと啖呵を切るところがカッコよくてしかも可愛い。タランティーノ映画『キル・ビル』を観てアクションの勉強をしたそうだ。その後 スティーブン・キングのホラー小説映画化『キャリー』のリメイク版で主役。狂信的母親役の演技派ジュリアン・ムーアとの、丁々発止の掛け合いがよかった。いよいよ将来が期待できるなと思っていたら、去年はデンゼル・ワシントン主役のアクション映画『イコライザー』で見事な「娼婦」役を演じきった。この名演技でヤツガレもクロエちゃんファンになった。すでにハリウッドの若手スターの座についている。そして今回は自身をパロディ化したような役柄を演じて、ますます磨きがかかってきた。
やはり若くして大スターになったビノシュだったが、ぼくにはどうも昔の出演映画自体が好きになれなくて、あまり興味を引かれなかった。それが『マリー、もうひとつの人生 』(日本ではWOWOWのみで公開 )を観たら、ビノシュが年齢を重ねてコメディもいけちゃう、優れた大人の女優になっていたと再発見したわけ。このコメディでは一人二役 (主人公は記憶喪失したため二重の人格を演じ分ける )で、ユーモア漂うヒロインを楽しみながら演じている余裕すら感じさせた。客感的な「笑い」にフランス伝統の esprit がある。
コメディといっても、日本の喜劇とはちょっと意味が違うのね、「人間喜劇」ともいわれる、あの「コメディ・フランセーズ」のほうのコメディね。モリエールを嚆矢とするシニカルなフランスの伝統演劇。ちゃんとその古式ユーモアを現代に再現できる女優さんとして、ビノシュは成長を遂げたようだ。今回の映画『アクトレス 女たちの舞台』でもその喜劇性が表出している。監督がもうちょい「笑い」のセンスさえよければ、女優たちも特異な才能をもっと発揮できただろうに、それが残念。虚実いりまじった面白い風刺劇にしては、それこそフランス式エスプリが不足している。これは監督と脚本のせいだろう。しかし女優たちは活き活きとしていて素晴らしい。もう一人の共演女優クリステン・スチュワートは、以前の大人気ヴァンパイヤー映画からは一皮むけて好演、これまた大人のユーモアを表出させて見事な写実的演技。女優それぞれの芝居を楽しむには100点満点の「アクトレス映画」でした。

す. 鈴木信太郎

osamuharada2015-10-20

過日、鈴木信太郎の人形柄の風呂敷(絹ちりめん製)を手に入れた。むかしデパートの三越謹製で売られていたものらしい。半世紀ちかくたっているのに、新鮮だなあと感心してしまった。古いヨーロッパの郷土人形がモチーフだから、これを描いたときすでにクラシックを描いたはずだ。しかしすぐれた画家の手にかかると、たったいま真新しい命が絵に吹きこまれたかのように感じられる。明るく前向きな生命力の発露が、この画家の本領であると思う。
拙著『ぼくの美術帖』の鈴木信太郎の章には、挿し絵をご本人の許可を得て使用させていただきました。いま本棚から抜き出してきてそのページ(みすず書房版)も撮り、マイ Tumblr に並べてみる。どちらも懐かしくて、しかもフレッシュネスは湧き出てくる。ヤツガレには、かのプルーストのマドレーヌ効果があるのです。http://osamuharada.tumblr.com/ 他に、ぼくの持ってる挿し絵の原画2点(グレーの紙にコンテで描かれています)も、秋らしくて載せてみました。
当Blogでは、すでに鈴木信太郎ネタが、数えたら11回に及んでいました。気が向いたときの日記がわりでもあるので、自分で読み返してもまた懐かしくなる。その一部「信太郎のマッチ」[id:osamuharada:20080414] 「子供の頃の絵」[id:osamuharada:20091111]
余談:この風呂敷は使わないで鑑賞用にします。実用はこっち→「吉野織の風呂敷」[id:osamuharada:20080116]

よいこのオリンピック

osamuharada2015-10-11

勝ち負けがあるスポーツ嫌いとしては、我慢に我慢をかさね覚悟のうえで孫の運動会につきあった。しかしまだ幼稚園児では、勝敗よりも、思いっきり身体を動かすことのほうが嬉しいらしい。これぞ「 勝つことではなく、参加することに意義がある。」という、本来のオリンピック精神なのではあるまいか。これなら過剰に応援する必要もないし、安心して子供の成長ぶりを眺めていられる。開始時間より早めに着いたら、孫はたちまち裸足になり、友達とグラウンドを全速力で走りまわりはじめた。
「よいこのオリンピック」とは器械体操のことで、ネーミングが気に入った。年長組の孫は8種目に出場した。なので撮影係を仰せつかったヤツガレも休むヒマはない。ダンス種目では、何故か「沖縄エイサー」を踊っていた(勝敗はなし)。太鼓に民族衣装のコスチュームが皆よく似合う。自然の手振り身振りで誰もが上手に踊れるとは、同じ海洋系縄文人(持論ですが)としての血が騒ぐのだろうか。以前、この幼稚園では「よさこい」を踊っていたこともあるそうだ。幼稚園にも多少の流行はあるらしい。来たる2020年 大人のオリンピックのほうでは、やはり「東京五輪音頭」を大人全員で踊っていただきたいもんだな。
よいこのオリンピックには、さいわい巨額の巨大競技場も、パクリエンブレムの商標権も、日の丸の国威発揚も必要ない。天気さえよければ、子供たちは土のグラウンドを裸足のままで疾駆する。最後は全員にもれなく金メダル(プラスチック製)が配られた。等級は関係なく「よくがんばりました」と銘が入っている。孫は記念メダルに興味をしめさず「ちょっとコレ持っててくれる」と言って放り出し、帰宅時間まで再びグラウンドを全速力でひた走るのだった。

デザイン業界 異聞

osamuharada2015-10-05

7月 SNSで火がついた東京五輪エンブレム騒動。8月に本人のパクリ釈明会見でさらに大炎上。9月にはエンブレムの中止会見。それを受けて 劇場 vs.五輪の紛争は終了。10月に入ると、こんどはエンブレム審査そのものに不正が発覚。「公募」以前から決められていた出来レースだったことが判明した(談合だよね)。すぐに電通から組織委に出向していた 高崎卓馬、槙英俊さんの二人を更迭、つまりはトカゲの尻尾切りだ。これで五輪側も審査委員側も、めでたく責任回避ができたというワケか。しかしこの騒動、そもそもの発端であったベルギーのオリビエ・ドビさんの著作権侵害の審議は始まってさえもいないんだよね。まだエンブレムがパクリかどうかは定かではない。ああそれなのに、すでに尻尾切りされちゃった哀れサノケン氏はどうしたろう…。
いまや出来レースとわかったエンブレム公募?の入選作品、2位と3位のデザインをひとめ見てみたかったのが 、ついにSNS にも画像出現した。週刊新潮でも《「インチキ選考」仰天の真実 》と題してコレをとりあげている。 2位に選出された 原研哉さんは、このたびの審査委員長 永井一正さんが創立した日本デザインセンターの、現代表取締役ではないか(親分と子分)。それにしてもこのお手玉みたいなデザインはお粗末すぎる、と思うのは三流デザイナーのヤツガレだけだろうか。 3位の 葛西薫さんは、今年ありがたくも天皇陛下から紫綬褒章を拝領されたばかりの、サントリー宣伝部門サンアドの副社長さんだ。サノケン氏と電通高崎さんが組んでやっていたのが、例のサントリーの景品「コピペ・トートバッグ」。みんな仲間うちだけで仕事を廻していたんだね。それにしても ( また言っちゃうけど )、3位の 和菓子屋風 なぐり書きデザインはひどすぎる。想像力の貧困。どこが世界オリンピックで東京のシンボルマークなのだ、と思うのはワタシだけだろうか?ってことはないよね。ついでにダントツ1位だったという、サノケン氏原案のパラリンピック・エンブレム(右側)は、どうもあれでパラの「 P 」と読ませたかったらしいな。もとは Paraplegia(下半身麻痺)の意味だったよね。コレに関してはもう笑えない。

ぼくの COLLAGE

osamuharada2015-10-01

さわやかな秋日和には、俄然として絵を描きたくなってくる。ヤツガレの場合、自分の「絵」とは「ABSTRAIT」のことなので、稼業であるイラストやデザインの職人仕事とはまったく別のものと考えています。ただ自分のためにのみ、ひたすら自由気ままに描いています(人には見せず売りもせず)。ときに人からどんな絵を描いているのか聞かれるのですが、抽象絵画なので説明なんかとてもできませんよ、とはなはだ無愛想に答えてしまいます。それでもなお見たい、とおっしゃる物好きな方がまれにいらっしゃるので、恥ずかしながらちょいとサワリだけを Tumblr にて。(とくに絵が好きという方だけご覧ください)
キャンバスに描く大きな絵は実物を見るにしかず、というものなのでネット向きではないから、ここでは「COLLAGE」の小品を。「絵」というよりは絵の「ESQUISSE」です。コラージュでは、いつもの無機的な純粋抽象ではなく、リリシズムを強く意識して描いています。描くというより切ったり貼ったり、誰にでもできるのですが(お金もかからず)。観るときには、意味はまったく無いので何も考えず、静かに感じていただければよいのです。そして「絵」はただそれだけのものである、と思ってくださいね。
白のケント紙に描いたものと、青い革表紙のスケッチブックに描いたもの15点。タイトルはありません。→ http://osamuharada.tumblr.com/