ジャーマン ベーカリー

osamuharada2015-12-17

デジタルリマスタリングされた小津安二郎監督作品を、大型テレビにて再見。 すでに何度も観て、見慣れた映像であっても、改めて見ると美術の細部までくっきり映し出されているから、小道具類もぼくには新鮮で見飽きることがなかった。
‘60年『秋日和』で、司葉子が 買って帰った洋菓子の包装紙が【ユーハイム】なのは前から分かっていましたが、昨日NHKで放映された ‘59年『お早よう』を観ていたら、おみやげに久我美子の買ってきた菓子折りは、【ジャーマン ベーカリー】の包装紙だったとついに判明できたのであります。家は大田区蒲田の多摩川沿いあたりと想定しているようなので、久我美子はお勤め帰りに有楽町か田園調布の駅前にあったジャーマン ベーカリーへ寄ったことにでもしたのでしょう。「GB」のロゴマークも確認。あの頃の東京では、確かにこのヨーロッパスタイルの二店舗はアカ抜けていたのです。さすが美術考証には徹底的にこだわる小津映画。
十代の頃の学校帰り、渋谷の東急文化会館にあったこの両店にはポン友たちとよくいきました。特に2階にあった【ジャーマン ベーカリー】のチーズバーガー(付け合わせのコールスローも旨かった)と、レモンパイ(上にメレンゲが乗っかっている)が好きでした。そして買ったパンを入れる紙袋(白地に黄色と紫のチェック柄とロゴ)や、菓子折り用の包装紙(映画で使われていた)のデザインが大好きで、スクラップして持っていました。また店で使われていたカップ&ソーサーは、円周に青いチェッカー模様の帯があり、「GB」のロゴが横についたものでした。のちにオサムグッズで陶器にデザインしたチェッカー模様は、ぼくなりのオマージュでした。
我々が高校生のとき、【ジャーマン ベーカリー】に本物のドイツ人のウェイトレスさんが入ってきました。このひとがいつも無愛想で、いかついオバサン(実は若かったのかも)だったから、すかさず「ナチス」とあだ名をつけては、みんなで恐れていたこともありました。つまりデザインといい店員さんといい、雰囲気にちょっとした外国風情があったわけね。
イラスト稼業についた70年代は、やはり古くからあった銀座4丁目の【ジャーマンベーカリー】のほうへ足繁く通いました。銀ブラの途中でも、仕事の打ち合わせでも、何かというとジャーマンでした。店はドイツというより五十年代アメリカ風で、ちょっとノスタルジックでしたがぼくには落ち着ける場所なのでした。そのうち新しいビルに建て替えられてしまい、がらっとセンスが変わったので足が遠のきました。有楽町店もあったけれどそちらはもとより気に入らず、横浜元町店には、デートでたまに横浜へ行けば必ず寄りました。いまはなき【ジャーマンベーカリ―】は、ヤツガレの十代二十代頃のフランチャイズなのでした。
オマケ:映画『お早よう』で新たに見つけたもの。よく見ないと分かりづらいけれど、佐田啓二沢村貞子姉弟が住んでいるアパートの場面に、チラっと内藤ルネさんデザインの「座布団」が敷かれていたのを確認しましたよ。柄は白地に女の子と車や犬が藍一色で描かれている。多分、市販されていた浴衣用の布地だと思います。ちょっと年齢的にはありえないけれど、画面上の色彩的バランスとしては見事に調和していました。小津映画はどこをとっても完璧なコンポジション