再見 故宮博物院

osamuharada2015-02-10

今年もまた避寒中の沖縄から、台湾へ美術鑑賞に。故宮博物院の絵画室では(個人的に)大発見があった。早くも唐の時代に、盧鴻という〈文人画〉の天才がすでに存在していたということ。その【 盧鴻草堂十志圖 】画巻を見ることができたのが、なんといっても今回最大の収穫でした。
およそ1200年も前に、隠棲して山水を描く優れた画家が中国には存在していたわけです。〈仙境〉という小宇宙に入る方法論を絵画表現で伝えようとしている。しかも後代の画家よりも洗練され、新しくさえ感じる。空気遠近法も完成している。集中力を発揮してみれば、平面の二次元から、五次元へと一挙に到達。まさに時空を超えて存在する芸術境というべきもの。
日本の奈良時代、盧鴻は八世紀の中国画家。唐の玄宗皇帝(あの楊貴妃で有名)に御用学者として仕官に誘われるも、それをお断りして「嵩山」という山中で隠居生活に入ってしまったらしい。玄宗皇帝は芸術に理解があった人らしく、自ら「隠居服」なるものを盧鴻に与えて賞讃したという。美女と芸術には寛容な皇帝だったんだね。盧鴻は生没年もわからず、作品もほとんど残っていない稀有の画家。ヤツガレなら迷わず国宝にするけどね。
その盧鴻の画巻のおとなりに出展されていた、【 宗郭忠恕臨王維輞川圖 】画巻にもすっかり魅了させられてしまった。宋代の郭忠恕という1000年前の画家。こちらは宮廷に使えた画家のようだが、主に風景や建物の細密な絵を得意としていたようです。髪の毛より細い線描に、青緑の彩色。こればかりは実物に顔を近づけて見なくちゃわからない。緻密でありながら、奥行きと広大さがあるのは、デッサン力と巧みな構図によるもの。山川草木、5ミリほどの点景人物、すみずみまでが生きている。〈写実〉ではなく〈写意〉という、東洋的リアリズムの極致は宋元画にある、と岸田劉生が論じていたのを思い出す。
この二つの画巻に見入ってしまったあとでは、どの有名な画家の絵も物足りなく感じた。大好きな王原祁(清初の文人画家)でさえ、交互に見比べるとヘタで味気なく見えてきちゃうのだ。中国絵画史の奥深さ、このトシでも初心に返って、新たな感動を与えてくれる。
二日あいだをおいて、また故宮博物院に詣でる。上階の眺めがよい「三希堂」で、お茶も昼飯もすまして、終日この二つの画巻ばかりを見て過ごすことにした。何度見ても幸福感に満たされ、およそ見飽きるということがまったくない。たち去るときは離れがたく、とてもつらく感じた。