TATTOOの国

osamuharada2015-01-28

オール大分県産の食材でつくる銀座の料理店「坐来」へ何度かいっているうちに、そこのメニューを見て気がついたこと。 国東半島宇佐地域が「世界農業遺産」に選ばれたと書いてある。確かに何を食べても自然の滋味があり旨かった。日本食の原点になる味覚が揃っていて素晴らしい。実はこの国東半島一帯が、ぼくの前から考えている中国の六世紀『梁書』に書かれた【 文身國 】なのです。このエリアに黒曜石の姫島が入っていたのも嬉しい情報。女神を祭る宇佐神宮もある。当時の中国人から見ると大変に珍しかった TATTOOの国【 文身國 】はここだなと確信した。三世紀、沖縄海底に没した【 邪馬壹國 】とも共通して、入れ墨のある海洋系縄文人の国のひとつだと思います。
なかでも姫島は、紀元前の新石器時代縄文時代)にもっとも重要な黒曜石を産出する場所だった。新石器とは、黒曜石を加工した細石器のことで、この技術革命によって、食生活の様式が旧石器時代より一段と進化した。新鮮な魚を細石器で三枚におろして、お刺身だってつくれた。縄文時代にウナギまで三枚におろす技術があり、毒あるフグまで腑分けして食べていた。弓の矢尻としても使われた。と考古学が解明している。今でもこの黒曜石の鋭利なブレードで髭が剃れるという。日本料理の板前さんの「包丁さばき」には、一万年以上の長い伝統があったのですね。 縄文・弥生時代を通じて、姫島産黒曜石は、東九州を中心に、中国地方、四国から、なんと大阪に至るまで広範囲に流通していたのですよ。ただし西九州から沖縄までは、佐賀県伊万里に近い腰岳産の黒曜石が使われていた。こちらは魏志倭人伝の末盧國(松浦)だと考えられる。
などと、また話が長くなりそうなので、古代史好きのかた以外は飛ばしてね。この話題は前に書いた「倭人伝とTATTOO」[id:osamuharada:20141204]の続きになります。
まず【 文身国 】の位置問題について。『梁書』には【 文身國 在倭国東北七千餘里 】と書かれている。倭国から東北へ七千里余りのところに文身国は存在する。ぼくの距離比定法は『魏志倭人伝』と同じ短里の読み方で、一里は90〜100m。邪馬台国沖縄本島)と帯方郡(韓国ソウル)の間が一万二千里余りと書いてあることから、計測して約1200kmでピタリ合うというのがもとになっている。方角についても、邪馬台国は《会稽東冶(中国の紹興県)の東にあるべし》とあり、〈東〉は正しく沖縄本島を指していた。これで距離も方角も正確だったというわけ。この『魏志』の短里をもとに、倭国沖縄本島)から〈東北〉の方角で、距離が七千里余り約700kmの位置、それが大分県国東半島である、と比定してみたのです。つまりここが【 文身國 】だと考える。
国東半島の先にある小さな姫島には、有名な伝統の踊りがあって、なかでも最も古く、由来も何もわからない「キツネ踊り」が面白い。可愛い子供たちの狐に似た顔の化粧(上の写真)を見ると、左右の頬に三筋の赤い線、目から額にかけて二筋の赤い線のデザイン。古くは丹朱を用いていたことだろう。さらに遡れば、これこそ縄文時代から続いた入れ墨の名残ではないだろうか。『梁書』には【 人體有文如獣 】ケダモノのような文身をしている。またその図柄は【 其額上有三文 】と、おデコに三筋の入れ墨で、貴い身分の者は直線、身分の低い者は小さい入れ墨【 文直者貴 文小者賎 】とある。また踊り好きな風俗のところは【 土俗歓楽 】である、とその楽しみ方までが特筆されている。
〈食〉については《 物は豊かで安い、旅する者は食料を持っていく必要はない。》とあり、いまや世界農業遺産になった国東半島にこそふさわしい。山の幸、海の幸に恵まれていた土地柄ですね。杵築市の海岸は遠浅で、昔は広大な干潟があったと思える。なにしろここには太古のカブトガニが今でも生息しているそうですよ。ずっと同じ自然が保たれていた証拠です。
〈水銀〉については前に書いたとおり。ここには辰砂(丹砂とも言う)を専門に扱う丹生(にゅう)氏の存在をうかがわせる地名、「丹生」「丹生川」が大分市内にある。それもしっかり中央構造線に沿っている。縄文時代から続く丹生氏に、秦(はた)氏の新技術が関与して《水銀》が精製されたことと思われる。
そして八幡さまの総本社「宇佐神宮」があります。全国神社約11万社のなかで、4万以上が八幡さまで、神社の数ではトップだそうです。ここにも秦氏が関わっていた。女神を祭るところは、邪馬台国卑弥呼を連想させる。海洋系縄文人黒潮にのって北上し、一部は豊後水道に入り国東半島に至ったのではないだろうか。四、五世紀の古墳時代に戦乱の陰がなく、宗教的に平和がもたらされていた国。【 有屋宇 無城郭 】家屋はあるが城郭はない、とも記されています。これは城主すなわち国王がいないことか。宗教の祭儀が治める国だったのだろう。背後は広大な耶馬渓の山脈に守られ、外部から侵略されることなく、古代より神聖な土地柄として今に残ったのでしょう。国東半島は修験道山岳信仰もまだまだ盛んです。宇佐神宮には、後から入って来た仏教も受け入れて神仏習合。宇佐には弥勒寺がある。ミロク信仰は飛鳥にも共通していますね。
といった感じで、日本史御用学者からは長年排斥され続けてきた【 梁書・文身國 】は、実際に存在していると確信しました。ちょっとトロイの木馬を発掘したシュリーマンになったような、いい気分です。次は『梁書』のなかで最も魅力的な【 扶桑國 】に挑戦中。特筆すべきは【 無兵甲 不攻戦 】。兵隊は無く戦争をしない、平和の国がこの日本にはあったのですよ。ついでながら、平和憲法改悪をもくろむアベ&アソー薩長政権には断固反対!
文身國の資料写真はこちら→http://osamuharada.tumblr.com/