一大国のカンコロ餅

osamuharada2013-02-03

熊本産の煎茶に合わせて、素朴で甘すぎない茶ウケを探していたところ、長崎県五島列島の銘菓「カンコロ餅」を発見。とても気に入った。古くから五島列島の主食だったカンコロ芋(サツマイモ系)に餅米を加えて搗いただけの菓子。軽くトーストしてから食べる。色も見た目もよろしくないが、ヤツガレが提唱(大げさ)する、邪馬台国群のひとつ【一大国】=《五島列島》説、が脳裡にあったので、親しみを感じて食してみたわけ。これが深蒸しの煎茶に不思議とピッタリ合うのでした。名前も可愛らしいよね。これ以上は考えられないほどの素朴な風味。しかもやさしくて上品な味覚。これぞ【一大国】の遺したものである、と勝手ながら実感しちゃったわけよね。
五島列島》=【一大国】説は、例の御用学会からはまったく無視!ですが、魏志倭人伝によれば、【一大国】には「やや田地あり、田を耕せどもなお食するに足らず。」とある。これでは弥生時代の典型である水稲農耕はなりたたない。邪馬台国群の倭人が、弥生人ではない証拠のひとつである。
倭人たちの生活風習については、『魏志倭人伝』をちゃんと読めば、弥生人との違いがすぐ解るはずなのだが、その終わりのところに、倭人の風俗が「儋耳・朱崖と同じ」とある。タンジとシュガイ、この二つの地名は、現在の《海南島》にあったのです。中国の最南端につきでた島で、海南島の西はすぐトンキン湾。その対岸がベトナムで、亜熱帯と熱帯が重なる地域に属する。つまり邪馬台国倭人は南方系民族に近似していた。このことは『後漢書』にも、倭人は「朱崖・儋耳と相近し、ゆえにその法俗多く同じ。」とあります。米が主食ではなく、魚介類が中心で、南方由来の芋類を食べていたことでしょう。
歴史でご飯を食べてる御用学者のセンセイがたは、倭人伝にある【一大国】は、【一支国】と書くところを著者の陳寿さんが誤って「一大」なんて書いたんだということにしちゃって、《壱岐》の島が【(一大国ならぬ)一支国】である、とソレこそ勝手にでっちあげているのです。距離も方角までも、すべては陳寿さんの誤記ということにしてしまって【一支国】を作った、どうしようもない俗説だ。食うために御用学者がそうしたい真の理由もわかっているが、しかしね、ともかく弥生時代の遺跡がたくさん出土すれば、どこでも邪馬台国群の国にしちゃう発想が貧弱でしょ。それでもほんとに学者かね。倭人は海洋系縄文人であって、朝鮮半島経由でやって来た弥生人じゃないんだよ、お気の毒サマ。
最近また驚いたのは、壱岐の島に、市立「一支国博物館」なるものができていたこと。2010年のオープン。それもなんと建築家(というより女優・若尾文子の亭主)故黒川紀章の、これが最後の設計だという。ホームページhttp://www.iki-haku.jp/を見れば、六本木にあるダサい黒川設計「国立新美術館」と同じく、薄気味悪いカーブを多用した建築の「一支国博物館」。波打つ大屋根の上には通天閣のような塔まであって笑っちゃう。当然、バラまき地方交付金でつくっちゃった箱物だろうな。有名な卑弥呼邪馬台国の【一支国】といえば、何もない壱岐にも観光客がいっぱい来るぞ、と善良なる島民をダマしたんだね。
それにひきかえ、幸いにも五島列島【一大国】は、官僚と御用学者の餌食にならずにすんだから良かった。カンコロ餅の素晴らしい味覚も今に伝えてくれている。煎茶を喫しながら、また余計な憎まれ口をノートしてしまいました。
前に書いた【一大国】[id:osamuharada:20120921] ついでにインチキ「伊都国歴史博物館」[id:osamuharada:20111010]