赤坂のシャンゼリゼ

osamuharada2013-02-10

本屋で小林信彦さんの新刊『私の東京地図』のカバー写真を見たときに、ひと目で、すぐそれが赤坂のカフェテラス【シャンゼリゼ】だと分かった。ぼくにとっては想い出の深いお店だったから…。青春の一頁ってゆうような場所なのね。またこの写真は小林信彦さんご本人の撮影(1961年)なので、一ファンとしては余計に親しみを感じてしまう写真です。
本文中の「赤坂」のところで、《昭和三十年代なかばには、都電の線路に面して〈カフェテラス〉なるものが日本で初めてでき、年長者につれられて、そこでタルタル・ステーキやニューヨーク・カットのステーキを食べた。右肩上がりの時代は、実に気分のよいものだった。》とあります。店名は書かれていませんが、あの頃の【シャンゼリゼ】は、最先端モードの大人たちや芸能人、外国人が集まる場所としてつとに有名だったのです。
まだ小生意気な十代のヤツガレも、デートの待ち合わせや、悪友たちとタムロする場所として大いに活用させていただきましたよ。しかし高校生なので昼間の健全な時間帯専門でした。土日が休みの学校なので遊ぶヒマだけは存分にあった頃のこと。 お店のほうは真夜中まで開いていたはずだったな、とこの写真をよく見ると、仕切りガラスに「OPEN AM10:00−AM3:00」と書いてあります。当時では、珍しいオトナのお店だったわけね。
ぼくが行くようになった1963、64年頃には、外から敷地内に入れないようガラス窓がめぐらしてあって、写真右側の奥のほうに入り口があった。店内に入る手前には、ブーケや小物雑貨などを売っているコーナーができて、ちょっと外国風の洒落たアプローチなのでした。そこを通り抜けて、さらにもう一つガラス扉を押して広々としたテラスのほうに出てゆく。ワクワクした気分で、いつもその扉を押したことが懐かしい。 
最古のガールフレンドPYONKOさんとよくデートの待ち合わせをした。あるとき、ぼくが先に着いて待っていたが、三十分、一時間たってもまだ来ない。気長なほうで待たされるのは平気だが二時間ちかくもたったので、ついにしびれを切らして電話した。なんでも、天気のせいで髪型がクルクルになっちゃって、うまくまとまらないから出られないのよ、ということらしい。女ゴコロというやつだったのでしょうか、その日のデートは笑ってお流れ。
シャンゼリゼ】の昼下がり、三々五々、ポン友どもが集まってひたすらダベっていた日々もまた楽しかったな。ヌーベルヴァーグ映画を観たあとの親友Aと二人、コーヒー一杯だけで数時間しゃべりまくったこともあった。ジャズや実存主義がどうだのこうだのとワケのわからないことをいいあって。あれから半世紀か…。 
この本を読むと、同時代の同じ場所ごとに、つい個人的な記憶もよみがえってくる。各章を読むたびに、いちいちアレコレ思い出しては、読みすすむのに倍の時間がかかっちゃったな。特にヤツガレの場合は、60年代の赤坂、青山、表参道、渋谷、六本木、日比谷・有楽町、そして銀座。これらが自分にとってもローカリズム、ゆかりの土地だったことにつくづく思い至るのでありました。

私の東京地図

私の東京地図

この装幀デザインの描き文字は、佐野繁次郎のパクリだね。どうでもいいけど、繁次郎の良さはフランス風であり、小林信彦さんのアメリカナイズには似合わない気がするな。それに【シャンゼリゼ】はニューヨークスタイルだったのよ。〈カフェテラス〉とあるのは仏語+英語の和製造語なり。ぼくなら小林泰彦さんの手描き文字でお願いしたい。だいぶ前に書いた佐野繁次郎の描き文字については→ [id:osamuharada:20050311] ・ [id:osamuharada:20070502]