ハワイの博物館

osamuharada2012-02-29

ポリネシアの収集品を展示する、ホノルルの【ビショップ博物館】にて、ゆくりなく『魏志倭人伝』の記述を思い出した。瀟洒な英国調の展示室に入ると、ポリネシアに伝わるTattooの歴史、刺青(いれずみ)の風習についてのコレクションが目を引いた。特に、顔面に縄文土器を思わせる渦状文が彫られているマスク。それに体の全身に施された刺青の抽象的文様も素晴らしい。たちまち卑弥呼が支配した耶馬台国群に住む「倭人」の風習、【黥面・文身】つまり顔面の刺青・身体の刺青を連想した。
〈コレ古代史の話なので興味ない方は飛ばしてね〉 『魏志倭人伝』に【黥面・文身】はこう書いてある。当時の中国人から見て特筆すべき倭人の姿とは、《 男子は大小となく 皆 黥面文身す 》 《 断髪文身 もって蛟龍の害を避く 》 《 今 倭の水人 好んで沈没して魚蛤を捕らえ 文身し またもって大魚水禽を厭う 》 《 後ややもって飾りとなす 諸国の文身各々異なり あるいは左にしあるいは右にし あるいは大にあるいは小に 尊卑差あり 》。 刺青は、最初は水中での危険を避けるためのマジナイで、後に通過儀礼や階級のしるしにもなり、装飾つまりオシャレとしても発展した。ポリネシアに広がっているTattooの伝統は、倭人伝の刺青と酷似しているのです。
汎太平洋の古代史や考古学は遅れていて、残念ながら現状は未分化のままらしい。ポリネシアとは、北はハワイ、東はイースター島、南はニュージーランドまでの三角形の太平洋の海域に存在する島々のことです。人種と言語が同根のものだということだけは、どうやら判明しているようですが。
倭人邪馬台国=沖縄説)は、ポリネシア人と古いところで同系ではないかな。まずぼくの考える倭人とは「海洋系縄文人」なので、最先端の金属製武器を持ち、朝鮮半島から来た農耕民族の「弥生人」とは別種だと思うのです。刺青の風習を考慮しても、朝鮮よりもむしろポリネシアに近いと考えられる。縄文人の南方由来説です。実際、縄文時代(紀元前の1万年間)には土偶に見られるような刺青の風習がありました。かつてのアイヌと沖縄にも刺青の風習が残っていた。もし倭人伝に書かれた邪馬台国が、畿内説である奈良や大和にあったのだと言おうとするならば、この顔から全身にかけての刺青の風習、その存在証明をしなくてはならないのです。御用学者センセイ、これを忘れちゃ困りますよ。
さらに倭人伝をよく読めば、邪馬台国倭人と、ポリネシア人との遠戚関係もうかがわれる。すなわち卑弥呼や壱与の、《 女王国の東 海を渡る千余里 また国あり 皆 倭種なり 》の「倭種」の語です。倭人の同類と考えられる倭種は、海の東に住む。次に《 また侏儒国あり その南にあり 人の長け三、四尺 女王国を去る四千余里 》と南下をする。「侏儒国」とは「こびとの国」の意。そこからさらに《 また裸国・黒歯国あり またその東南にあり 船行一年にして至るべし 》と、東南方向に船で一年もかかる場所まで倭種ということになるのです。地球儀を見てくださいね、この国がポリネシアのどこかであっても全然おかしくはないでしょ。船旅で1年、南太平洋の、あのモアイ像があるイースター島だったとしてもいい。 ビショップ博物館の空間に一歩入った途端、見果てぬ夢を見ていました。
Bishop Museum → http://www.bishopmuseum.org/