オキュパイド・ジャパン

osamuharada2008-05-19

六本木で、林忠彦 写真展「カストリ時代」を見る。敗戦直後、焼け跡の生々しい銀座風景。外地から引き上げて帰京した兵隊達の疲れ果てた顔、顔、顔。林忠彦もまた同じ復員兵の一人で、帰還直後からカストリ雑誌などで報道写真の仕事を始めた。その時代のネガから選出した作品群。 銀座のBARルパンのカウンター前に座る太宰治の写真が有名でしたね。闇市の写真は黒澤明の映画「野良犬」と同じように、リアルにあの世相を捉えている。銀座の街角には英字の看板や標識が目立つ。物見遊山のアメリカ兵。戦争に負けるとは、こんなに悲惨なものなのか。終戦の1945年から’52年に解放されるまで、日本は連合軍の占領下に置かれていた。独立国日本ではなく、OCCUPIED JAPAN である。
戦災孤児たちの写真もいくつかあった。なかでも可愛くて、切なくて、思わず涙が止まらなくなってしまった一点の写真は、瓦礫と雑草だけの三宅坂(現在は最高裁判所のあたりかな)にいた二人の浮浪児の写真だった。快晴の一日、一人のワルガキ風少年は寝そべって、はにかむ様に微笑んでいる。もう一人の少年は遠くを見すえ横を向いて立ち、その背中には、雑種の成犬がおんぶされていた。犬は少年の肩にチョコんと手をかけて、なんだか困ったような、しかしどこか安心もしているような表情をしている。これが可愛くて切ない。腰が抜けるか足が悪くて歩けなくなった犬なのか、少年は荒縄を負ぶい紐にして、自分の胸に食い込むほどしっかりと結わえてこの犬を背負っている。家族に死なれ残された浮浪児たちが、それでもなお生き生きとした表情なのは、大空襲の戦火をかいくぐって逃げ惑う、恐怖体験が終結した安堵感からだろうか。
以前ニューヨークで、ノミの市をぶらついて見つけた、陶器の馬とカウボーイ。裏底には MADE IN OCCUPIDE JAPAN とあった。占領時代の日本で作られた安物の輸出品。ぼくの世代の男子はアメリカ西部劇映画で育ったようなもんだから、つい思わず手にしたけれど、占領下日本製とあったので、胸を衝かれる思いをしたことがある。 どんなにひどい時代だって、戦争よりはマシだなと、つくづく思った。
『カストリ時代』林忠彦 写真展は、東京ミッドタウン富士フィルム フォトサロンにて、6月4日(水)まで。