泉鏡花『歌行燈』

osamuharada2008-05-13

本好きなほうだけれど、近年ますます小説だけは読まなくなってしまった。特に現代小説は読む気がおきない。ある雑誌から、どんな小説を読んでいるのか?と質問されたけれど、返事に窮して小説は読みませんと答えてしまった。スイマセンでした。  後で思い出したら三十代の頃は、鏡花、荷風、万太郎を読み漁っていた時期が、ぼくにもあったっけ。 ついこないだ本屋で、岩波文庫の復刊リクエストのシリーズに泉鏡花作『歌行燈』(明治43年)を見つけて、文庫版が懐かしくなり、買って読み返してみた。1936年第1刷で、1988年に途切れて、2007年の復刊では57刷発行となっていました。  今でもぼくのベストワン小説は『歌行燈』なのです。 かつては久保田万太郎脚色による新派の舞台でも観て、成瀬己喜男監督の映画になったものを観ても、やはり原作の持つ大きさや、夢幻の世界はあまり感じられなかった。ついに小説を超えることはできなかったんだなァ、というのが実感でした。読み返しても、なおその感想は変らない。 ストーリーはどうと言うほどのモンじゃないと思うけれど、その文章の素晴らしさ、日本語の美しさ、一字一句読み返せば返すほど魅了されていく。 まるで言葉の絵筆で描かれた金碧障屏画のような感じがするのです。 冒頭の「東海道中膝栗毛」の江戸時代戯作文から始まって、「俗曲」は入るし、能樂師の話だから当然「謡曲」の詞も出てくるのです。それらはすべて鏡花自身の文章の中に渾然一体となり、血肉となって生命力を与えています。そもそも能の「謡曲」は、古詩古歌を引用しているわけだから、時代を超越した世界が現出している。それらを鏡花は綴れ織のように、文章に織り込んで、独自の文体を創造したのでしょう。小説というよりコトダマって感じがするな。
写真の秩入りの特装本は、ぼくが四十の時に、読書家で当時六十二歳(今のぼくのトシだ)の、ある方から戴いたものです。 そんなに好きな小説が、文庫じゃ可哀相だからと、この立派な本をぼくに贈ってくださったのでした。長いお病気で、ついに一度もお会いできなかった方だけれど、いつも手紙を書いては文学や美術の話を教えてくださった。若い頃は高校の国語の先生をされていたそうだが、先生というより生粋の江戸っ子という感じのする方でした。 最初の岩波文庫『歌行燈』は、誰かにあげてしまって、それ以後この特装本が、ぼくの愛読書です。
映画の『歌行燈』については以前書きました [id:osamuharada:20050907]