東哉の仁清写し

osamuharada2007-07-21

芸術新潮七月号のコラムでは、京焼の元祖である野々村仁清の香炉(こうろ)や香合(こうごう)について書きました。仁清は陶芸家ではあったけれど、実は本阿弥光悦俵屋宗達尾形光琳・乾山兄弟らに連なる江戸初期京都の美術家グループの一員なのです。云わば大和絵ルネッサンスを築いた偉大なる一人でもあるのだと云いたかったのです。雑誌なのでひとりヨガリは恥ずかしい。単に仁清が大好きだという主観だけではなく、客観的な見地からそれを書いてみました。
十代の頃に、青山の根津美術館が好きで(デートコースでもあり)通い続けるうち、古美術方面にも開眼(大ゲサ)しちゃったのですが、仁清の陶芸作品もそのひとつでした。やがてその根津美術館所蔵の中にあった仁清《錆絵太鼓香合》の写しを、三十代になったある日、銀座の「東哉」でゆくりなく見つけました。それがこの写真。後ろにある本の中の太鼓香合が仁清の実物写真です。太鼓の下側の胴部分に木目が描いてあるけれど、東哉の写しにはそれがありません。何故それを端しょってしまったのかが最初はわからなかった。しかしその後自分で、東哉で買った京焼をはじめ、染付け、赤絵の皿や茶碗など食器類を使っているうちに、良き「写し」というものはただのコピー作品ではなく、古いものの良さを損なわずに現代性を持たせたものなのだと解釈できるようになりました。改めて東哉オリジナルの仁清写しや乾山写しを手にしてみると、ずいぶんモダンな感じがしています。これはまた京都の焼物を東京銀座で売るために工夫したデザイン感覚であり、はんなりした上方の味に、関東のあっさり好みを合体させちゃったからでしょう。 東哉の写しは、「写し」ではあるけれど絵画のほうで云うところの「写意」。その意を写す、にあたる感覚だと思います。これもまた「今人古心」というもんでしたね。