北園克衛の短編小説

osamuharada2016-02-07

北園克衛の短編小説集『 黒い招待券 』は、1964年に上梓されている。そのINTRODUCTIONには、《 ある秋の日の、ひさしぶりに空の美しい日であった。閑散とした山の手のとある坂道をくだりながら、ふと、私がこれまで折りにふれて書きつづけてきた短い物語を集めて小さな本をつくることを思いたった。》とあります。北園克衛62才のときの出版。これは、ぼくの若い頃の愛読書だった。一時期はいつも上着のポケットに入れていたのです。
その小さな本『 黒い招待券 』では取り上げられなかったが、戦前に、いくつかの雑誌に寄稿していた小説の拾遺集のような本が、最近になってできあがった。よくこれだけ探し出してきたものだと思う。『 北園克衛モダン小説集・白昼のスカイスクレエパア 』(幻戯書房刊)。詩人の菊地肇さんがぼくに贈ってくださった。
北園克衛三十代、すべて戦前の作品群。1930年から1941年(太平洋戦争勃発)までの間に書かれた35編。軍国主義が台頭してきた時代だ。にもかかわらず北園克衛の小説には、不穏な時代の陰りというものが微塵もない。モダニズムの短編小説を書き、あえてあの時代からは超然としていたのかもしれない。開戦前夜こんなに明るい書き出しもある。
《 街にはまた花咲く春が訪れて来た。そして街の少女たちはシイルやアストラカンの外套の重さに堪えかねて、チュウリップの水々しい茎のように溌剌とした四肢を、晴々しい春の微風のなかに投げいれた。》「緑のネクタイ」
また詩の一節でもあるような言葉が並んでいる。
《 ある五月の静穏な夜。街はインキ瓶の中に沈んでいるのです。》「白の思想」
《 ま水のような朝の風が樅の木の梢を吹いていた。》「煉瓦の家」
《 海は太陽の下で縮れている青いゼラチン紙なのです。》「初夏の記録」
《 三月の空気が新しいプリズムの様に冷たく澄んでいる。》「黒水仙
《 夜のプラタナスが夏を吹き上げている ― 青いビイルのように。》「背中の街」
《 シプレの香りが彼女の気紛れな性質に冷やかなデザインをする。》「夜の挨拶」
《 初夏のテレヴィジョンのような雨が銀座の街を静かに濡らしていた。舗道を行くアンブレラのカアブが鈍く鉛のように光り、街は漸くネオンがつく頃あいであった。》「山百合」 
これは1939年に書かれていますが、すでに「テレヴィジョン」を知っていた。ここではブラウン管の走査線を雨に見立てたのでしょう。テレビ放送は戦後の1953年(昭和28年)からスタートしている。この小説の実に14年後ですね。
《 アクアマリンの空に、白いカンガルウの雲が出ている。自動車は麦のダンダン畑を登って行く。ボンネットの先端の天馬が、突然に雲の中に踊りこむ。彼はマドリガルを口笛で歌っている。》「春の日に」
《 冬の日の鋭い空気の中で街路樹の柳が水晶の鞭のように鳴っている午後、私は外套の襟を高く立てて銀座の凍った舗道を歩いていた。飾り窓の硝子がスケイト・リンクのように冷たく光っている。私はふとその硝子の上に MON AMI と金色に浮き出した文字を見ると、ドアを押して這入っていった。》「蘭の花」
《 彼女はテエブルの上のシャボテンの鉢を見るでしょう。それは一インチの立体的完成のなかに砂漠の純潔を持っているのです。》「初夏の記録」 
《 彼らはトオストにバタを塗って、角のところから平和に食べ始める。》「ムッシェルシャアレ珈琲店
書き写していると楽しくてとまらなくなりそうです。

白昼のスカイスクレエパア

白昼のスカイスクレエパア