雑誌とトレンチコート

osamuharada2016-01-17

いまや雑誌は買わずに立ち読みですましていますが、70年代イラスト稼業についたころは、出版社が一度でも仕事をすれば毎月その雑誌を送ってくれるようになったので、買わずに定期購読者になっていました。大昔はイラストレーターといえども大切に扱われていたわけです(マガジンハウスは毎年お歳暮までくれましたよ)。そんなわけで、ちゃんと自分で、月刊誌を定期的に買って読んでいたのは、後にも先にもミステリーの専門誌「ヒッチコック・マガジン」くらいでした。ヤツガレ中学から高校にかけて四年間愛読していた雑誌。
この写真は、その【 ヒッチコック・マガジン 】1962年6月号の表紙。当時ぼくは十六歳の購読者。表紙にはいつもどこかにヒッチコックが(映画のように)登場していた。この号では、ひと目でこの店が銀座並木通りにあった【 チロル 】という輸入衣料品店のウィンドウで撮影したとわかりました。子供の頃から銀ブラをしていたので、当時のお洒落な大人がいく店だと心得ていた。スイスやオーストリア製の、登山やスキー用品に、セーターや靴などカッコいいものが勢揃い。高校生では指をくわえてウィンドウショッピングするしかありません。いつか自分で稼げたらココで何か買ってやるぞと考えていました。
ハタチの頃にはバイト代で、チロル・オリジナルのスェードの短靴を買いました。ゴム底が減るとチロルで張り替えてくれるので長年愛用できた。靴のお次は、オーストリア HOFER社製 のチロリアン・ジャケットにハマりました。グレーの霜降り、オリーブグリーン、紺色、チャコールグレーの四着。 そして三十代になり、やっとこの写真右側にあるトレンチコートを誂えることができたのです。チロルのオリジナル・デザインで、スイス製の生地は色もこの写真と同じ。コートの裏には、大きめの織りネームが張ってあり、番傘の一つ目小僧が一本スキーですべっている図柄なのでした。その絵の上にTIROLの文字。それまでが気に入りました。トレンチコートは、ヒッチコック・マガジンで見初めて以来、四半世紀過ぎてやっと注文できたわけです。
【 チロル 】へは、銀座店がなくなると、自由が丘店(店長さんがいい人だった)にも通いましたが、そこもいまはもうない。トレンチコートも、チロリアン・ジャケットも還暦までは着ていました。【 ヒッチコック・マガジン 】は編集長が小林信彦さん(雑誌のペンネームは中原弓彦)で、イラストは弟の小林泰彦さん。この雑誌がなければ、ぼくはイラストレーターにはなっていなかったと思います。表紙写真と同じ号の、小林さんのイラストも Tumblr にアップしました。ベン・シャーンの影響がまだ残っていたころですね。ミステリーの挿絵として、いま見ても惚れ惚れするな。トレンチコートの男も描かれていました。→http://osamuharada.tumblr.com/