二〇一六年

osamuharada2016-01-13

週刊誌は買わないけれど、週刊文春小林信彦さんのコラムだけは、いつも立ち読みさせていただく。しかし、以前は辛口の社会批評をたびたび目にしたが、このごろは映画とテレビドラマの話題ばかりになってしまった。古い映画の話などは、本にまとまってからユックリと読ませていただきたい。週刊誌では、たったいま社会で起きている事について、小林さんがどう思われているかを知りたいのだが…。
ネットの普及とともに、既存のマスメディアの果たしてきた役割が後退しているようにも思える。広告で賄われているマスコミは、広告主にタテ突いたら表現の自由もなくなる。売れなくなると、新聞・雑誌、テレビ・ラジオ、いずこもカネに困ってスポンサーの言いなりだ。貧すれば鈍する。つまらなくなって余計に売れなくなる。
そういえば、「週刊文春」の広告ページは、いつも新興宗教と饅頭屋がレギュラー・スポンサーのようだ。地方の街でテレビを眺めていると、「報道ステーション」では地元のパチンコ屋の広告がやたら目につく。
一昨日のニュースでは、沖縄米軍への「思いやり予算」が20兆円(通算)と騒いでいたが、パチンコの貸し玉料は、毎年20兆円 (以前は30兆)というのに、一度もマスコミで話題になったことがない。またNHKが主催するアイス・スケート競技の生中継をボンヤリ眺めていたら、スケートリンクの壁面に展示されたスポンサーには、パチンコ屋「MARUHAN」のロゴが堂々と並んでいた。業界一のマルハンは、一社で年間2兆数千億円の売上だそうだ。東京五輪にもカネを出すつもりだろうか? いつもヤツガレは「兆」を超える金額のメルクマールとして、このパチンコ貸し玉料(国民がバクチですったカネ)を用いているのであります。ちなみに、新聞社や、出版社の総売上は、それぞれ年間1兆数千億円にまで落ち込んでいて、マルハンたった一社にも負けちゃう。一億総活躍社会の実態は、上層は金融(バクチ)、下層はパチンコ(バクチ)で、みな活躍しているワケね。
古今亭志ん生の落語に、語源を知ったかぶりする年寄りが「バクチ(博打)ってぇのはな、その場で朽ちるってことだ」と若者にデタラメを教える小噺があったが、あながち間違いではないように思える。「その場」は金融の「相場」ともよめる。