お神輿の謎

osamuharada2015-06-13

築地市場のお祭り。魚屋の従兄弟は、六十過ぎてもまだ神輿をかつぐぞと言い張る。いくらカミさんがとめたって聞く耳持たず。ヤツガレの場合、お神輿はかつぐより絵に描く、という子供の頃から変わり者ですが、今でもひたすら神輿の美しさには圧倒されている。かつぐにしても、眺めるにしても、お神輿には血が騒ぐというか、人を惹きつける謎の魅力があると思う。しかしその「神輿の由来」については、誰もわかってはいないようだ。ワケもわからずお祭り騒ぎをしているにすぎない。
先日、築地の町内を歩いていたら、お祭りの準備作業中に遭遇しました。たまたま鳶職のひとが神輿をかつぐ棒を縄でしばりつけている最中だった。神輿に固定されている二本の棒の上に、別のかつぐ棒を井桁に組んでいた。それで【 旧約聖書 】に書かれてある、あの神の言葉を思い出してしまったわけですよ。
旧約聖書の【 出エジプト記・第25章 】。〈神〉は十戒を授けたモーセに、さらにいろいろな追加注文をする。古代ユダヤ教の原型をつくらせて、それを代々守りとおすように、とのご託宣だ。そのなかで〈箱〉をつくらせるように神さまがモーセに命じている箇所がある。《 わたしのための聖なる所を彼らにつくらせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである。すべてわたしが示す幕屋の型および、もろもろの祭具をつくらなければならない 》とあり、《 アカシヤ材で箱をつくりなさい。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビト半。あなたは金でこれを覆わなければならない。すなわち内側も外側も金で覆い、その周囲に金の飾り縁をつくらなければならない 》と詳しく指示しています。その金の箱が、日本のお神輿によく似ている。
さらに《 また四つの金環を鋳造して、箱の四隅に取り付けなさい。すなわち箱の両側に二つずつ付ける 》として、《 またアカシヤ材で棒をつくり、金でこれを覆い、そしてその棒を箱の環に通して、箱をかつがなければならない 》そして何故か《 棒は箱の環に通したままにして、それを抜き放してはならない 》と命じている。
つまり箱の棒二本は固定させたままで、祭事が終っても決してそれを抜いてはいけない、と神さまはモーセに厳命をしている。ひるがえって、大昔から日本の神社では、どこも必ず神輿の二本の棒だけは抜かないという慣習があるのです。不思議ですよね。お祭のあと倉庫にしまうとき、場所をとられるにもかかわらず決して棒を抜くことはしないのです。理由をたずねても誰も答えられない。しかしこれは旧約聖書に書いてある通りじゃないですか。
また神輿の屋根の上にいる鳳凰についても似たところあり。「金の翼」をつけた「ケルビム」というものをつくって箱の上に飾らなければならない、と旧約聖書には書いてある。「ケルビム」なるものが日本では親しみやすく「金の鳳凰」に変化していったのではないだろうか。
などと突拍子もない話に聞こえるかもしれませんが、世界の民族史に目をやれば、縄文時代に古代ユダヤ人の一派が、日本列島に彼らの宗教をたずさえて移住したことは大いにあり得ることだと思うのです。
お神輿の写真→http://osamuharada.tumblr.com/ ①神輿とかつぐ棒。②子供神輿も固定された棒の上にかつぐ棒を縛っている。③銀座「平つか」のかけ紙。江戸時代のおもちゃ絵のなかにあるお神輿。やはり二本の棒は抜かない。