今年最初の新茶

osamuharada2015-04-16

南方から、今年の「新茶」が早くも出ていますよ。いつも愛飲している屋久島産の有機栽培茶。さっそく日比谷の鹿児島県物産店と銀座松屋「茶の葉」で買いだめをして、いまは島のアトリエにて喫しています。せっかくの新茶、東京の喧噪の中で飲むのはもったいない。爽やかな風に吹かれる新緑の季節、とくに新茶は場所を選んで静かに喫すべしというわけね。 詩人・北園克衛の俳論集『句経』には《 茶は新緑の庭に向かって釈然と飲むに良い。》と書かれています。
今年の台湾で手に入れた小振りのガラス急須。それと去年買った茶碗よりひとまわり小さな詩の書かれた茶碗を買い、待っていた新茶に合わせて使います。島桜は花が散って若葉になった。ときどき鶯もやってきて美声を聴かせてくれる。新茶を喫するに作法も茶室もいらない。自然がそこにあれば他に何も必要としない。「自由自在」が煎茶の極意であり、伝統でもある、と思う。
北園克衛は『句経』でこう書いている。《 僕たちが伝統の如何なる部分を止揚し、如何なる部分を進展せしめて行くかは各個人の環境に依存するものである。だが、より深遠な意味に於いてはその人自身の民族的自覚の深浅強弱に依ることを否む訳にはゆかない。》
中国から入って来た茶は、日本人の自然観によって変化した。味覚も、作法までも違っている。使用する茶器は似ているけれど、ちょっと好みが違う。抹茶(茶道)の形式主義、煎茶の文人趣味、ともに中国由来だけれど、すでに日本化した歴史がある。これもまた「民族的自覚」によるものなのかな。中国と日本、ともに仲良く、素晴らしい文化遺産を受け継いでいる。
写真の急須と茶碗は台北「茗泉堂茶荘」→[id:osamuharada:20140304]
ニューヨークでも「新茶」だった。→[id:osamuharada:20130629]