ピザとPizza

osamuharada2015-03-05

はじめてピザを食べたのは高校生の頃、六本木の麻布台にあった【 NICOLAS 】というピザ専門店。もとは米軍基地の兵隊相手の店だったらしく、ピザもアメリカ式で、生地が煎餅のように硬めだった。ここが日本初のピザハウス(1954年から)で、60年代に都会ッコの間で流行った。イタリア語の「ピッツァ」ではなく「ピザ」と米語の日本読み。「ピザパイ」とも呼んでいた。敗戦後の六本木らしく、バタくさい雰囲気がこの地区にはまだ濃厚に残っていた。ハンバーガーを初めて食べたのも同じ頃の六本木「ハンバーガー・イン」だった。むかし NICOLAS の大きな外壁にあった、ピザ&コックのおじさんネオンサインが懐かしい。
ぼくがそのころ好きになったピザは、赤坂にできたばかりの【 FLORENCE 】という、ちょっと洒落たレストランのほうだった。ここで食べるピザのほうが本場イタリアの味と思えた。イタリア料理店だったので、ピザハウスという感じではなかったが、落ち着いたインテリアが好きで、よくピザだけ食べにいった。フィレンツェをフローレンスと英語でいうところが、気取ったこの店らしかった。そのあと銀座にもできたが、いまは両店ともない。
二十三歳のときのイタリア美術旅行では、なにしろお金がないから、昼も夜も Pizza ばかり食べていた。そのとき意外に感じたのは、Pizzeria が下町の蕎麦屋と同じような風情で、どこにでもあるごく庶民的な店構えだったということ。しかも安くて、どこも旨かった。近所の人々が気軽にやってきては食べてゆく。普通のレストランのほうではピッツァを出さないということもよくわかった。これも蕎麦と同じですね。なかでもナポリの古い店で食べた「マルゲリータ」が最高で、いまも忘れがたい。ナポリといえばそのピッツアの思い出あるのみで、美術関係のほうはハズレだった。
あのとき本場の Pizza に目覚めたせいか、日本製のピザは食べる気をなくしてしまった。八十年代頃から、宅配ピザや、アメリカ風のピザ屋が大流行したが、ともかくファストフードは嫌いなので、ピザも食べることがまずなかった。七、八年前に、たまたま赤坂の Pizzeria 【 ESSE DUE 】という店の大きな石窯で焼かれた「マルゲリータ」を食べて、昔のナポリの Pizza を思い出した。コレがぼくの求めていたピッツァなのでした。生地もトマトもモッツァレラも素材が肝心。それにシンプルなだけに職人の高い技術力も必要ですね。
冬の沖縄に来るようになってからは、那覇にある【 BACAR 】 の Pizza が好きになった。ここは石窯ではなく、巨大な鉄製の薪窯で焼く。蒸気機関車を思わせるような立派な窯には圧倒される。Pizza は「マルゲリータ」と「マリナーラ」の2種のみ。トッピング盛り沢山ピザなどないところがいさぎよし。よく働く若者たちも清々しい。現代イタリア風の Pizzeria で雰囲気満点です。沖縄が米軍基地であることを、ちょっとだけ忘れさせてくれる。上の写真はBACARの焼きたて Pizza 。鉄の薪窯がこの写真http://osamuharada.tumblr.com/ 
【余談】むかしの六本木について前に書いたこと→[id:osamuharada:20091116]  赤坂のむかしは→[id:osamuharada:20130210]