昭和の歌謡曲を聴く

osamuharada2014-12-30

年の暮れともなると、昭和の歌謡曲を聴きたくなってくるのは、子供のころに家族全員テレビの前で「紅白歌合戦」を見ていた記憶があったからでしょうか。戦後1960年代あたりまでは、大人も子供も、誰でも知っている同じヒット曲を一緒になって歌える流行歌の時代が、かつての日本にはあった。
昭和歌謡曲には、スタンダードナンバーと呼ぶべき名曲が数多くありますね。ぼくの場合、元の音源よりも好きな歌手によるカバーヴァージョンで聴くと、かえってその歌曲の良さがわかって楽しめるという趣味があります。
例えば石川さゆりが歌う『夜霧よ今夜もありがとう』(石原裕次郎のカバー)や、長山洋子が歌う『なみだの操』(殿様キングス)に『京都慕情』(渚ゆうこ)。最近ではSumireが歌う『黄昏のビギン』(水原弘)。演歌なら、大川栄策が歌う『無法松の一生』(村田秀雄)、二葉百合子が歌う『涙を抱いた渡り鳥』(水前寺清子)、木村友衛が歌う『浪花節だよ人生は』(小野由紀子)などなど際限なく昭和をさかのぼり、ちょっとマニアックに聴いています。
いま一番ハマっているのが、藤圭子の歌う昭和歌謡のカバー曲。本人の持ち歌がヒットしていたころは、その暗さが売りだったからか、あまり好きな曲がありませんでした。しかし昭和の歌謡曲を歌わせたら、その天才ぶりを遺憾なく発揮する、もの凄い歌手だったのだ、と今にして感銘しています。浪曲から派生した演歌のコブシを、これほど自然に発声できる人はもう出ないでしょう。藤圭子が歌う『長崎は今日も雨だった』は、クールファイブ以上に、曲想深くせまっているなぁ…。というような調子で、また自己流の「紅白歌合戦」(昭和限定)で勝手に聴くことにいたします。
この古いアルバムの写真(六十三年前)は、ヤツガレと愚妹も『銀座カンカン娘』を得意になって歌っていた頃であります(築地の祭りで町内揃いの浴衣着用)。 
ちょいと草田男をモジって、〔 降る雪や 昭和も遠くなりにけり 〕とかいってみたくなってきた。


Piano⇧はセルジオ・メンデスじゃないか!立派なスタンダード曲になっていた。