流求國ノート

osamuharada2014-12-15

昨日の衆院選で、オール沖縄だけは大勝しましたね。自民が比例(インチキ選)でゾンビのごとく敗者復活したものの、沖縄人は皆々大喜びしている。先の知事選でもナカイマ(カネの亡者)を追いはらったオール沖縄。そして辺野古移設のアベ強権政治に異を唱えたウチナーンチュに、ぼくはシンパシーを感じています。日本の米軍基地の75%を、小さな沖縄の島に押し付けておいて、なお知らん顔のヤマトンチュが恥ずかしい。
テレビ中継では、オール沖縄陣営に当確の報が入ると、すぐに全員が立ち上がって、両腕を上げ、手を振って足を踏む、あの【カチャーシー】踊りが始まった。楽しげに女性は手のひらを動かし、男性はなぜか軽く拳を握って踊っている。それを見ていたら、1400年前に中国で書かれていた【 隋書・流求國 】のなかの一節を思い出した。
そこにはこう書かれている。「 歌をうたい、足をふみならし、一人が音頭をとれば、衆は皆が和す。音はすこぶる哀怨なり。女子は上腕を支えもち、手をふりて舞う。」と、これってまさに【カチャーシー】そのものじゃないですか。日本史では小野妹子の〈遣隋使〉で知られる中国「隋」(西暦581〜619年)の時代に、流求国(沖縄)の存在は詳しく知られていたわけですよね。ヤマトンチュにはまだ聖徳太子がいたとされる頃のウチナー情報ですよ。
余談ながらさらに古代史の話。邪馬台国=沖縄説を支持するヤツガレとしては、前に書いた【文身】のことが気になる。【 魏史・倭人伝 】の時代(220〜265年)、邪馬台国には入れ墨の風習がありましたよね。それから三百年後の沖縄【 隋書・流求國】にも、入れ墨の風習は残っていたのですよ。「婦人は墨をもって手に入れ墨をし、虫蛇の文(模様)となす。」と書いてあります。そしてこの風習が、さらに二十世紀に至るまで続いていたということになる(前回の資料写真)。これは、驚異的な「縄文的美意識の連鎖」の一例だと思います。
今日の付録 : 女王・卑弥呼がいた【邪馬壹國】(沖縄本島海底遺跡)と、倭人伝「女王国より以北」の21の属国のうち7国。それに「女王に属せず」の「狗奴国」を、ぼくなりに地名で推定した沖縄地図です。三分の一以上もあるとは凄い確率だ、とけっこうコレ自信があります。→ http://osamuharada.tumblr.com/