豆画伯

osamuharada2014-08-24

五歳になったばかりの、孫の夏休みも終わりに近づいた。いつも連れてゆく近所のカフェで、葡萄のタルトを食べさせてやったら、孫は「今日もいい一日だったねぇ…。」と帰り道でつぶやいた。
また散歩から帰ってシャワーを浴びたあとに、孫が「オレ、若いときには水でも平気だったけど、いまはお湯のシャワーが好きだな。」といったのには驚いた。「若いとき」というのが三歳のころをさしているらしい。いつの間にか大人の会話を覚えてしまうようで、こちらは思わず吹き出す。
孫は家でもカフェでも、どこにいても絵を描く。誕生日に何か欲しいものがあるかと聞いたら、ホワイトボードのイーゼルが欲しいというのでプレゼントした。部屋のすみにイーゼルを立てかけておいたら、一日に何度も描いては消し、飽かずまた描いている。よく描けたものは黒板フキで消される前に、デジカメで記録しておくことにした。すでに部屋にはダンボールや紙でつくる工作ものが、ゴミ捨て場のごとく散乱する。よくいえば豆画伯のアトリエのようでもある。これも遺伝かな、とちょっとだけ良くは解釈してみたくなる。
ヤツガレも「若いとき」を思い出してみれば、やはり絵ばかり無心に描く子供だった。小学校にあがると、あちこちの子供絵画コンクールに入賞しては、パステルだの絵具の賞品をゲットした。銀座のデパート松坂屋で、コンクールの大賞受賞作品が展示されたときには有頂天になってしまい、将来は画家になるぞと決心していた。中学生のときには、ニューヨーク派の抽象画家を目指していた。しかし、【 少年老いやすく学なりがたし 】というやつで、トシばかりくっただけの、一度として売れたことのない芸術家のままです。もっとも好きな絵を売りたいなどと考えたこともなかったが。
ついに職業画家にはならず、イラスト稼業についたのも、【 芸が身を助けるほどの不仕合わせ 】とでもいうべきもので、望んでなったわけではない。そしていまや還暦もとっくに過ぎて、やっと自由気ままに好きな絵を、一人静かに描くことができる身分になったというわけ。まだまだオレだって孫には負けちゃいられない。(写真は孫のつくったオブジェ)