アトリエ日記

osamuharada2014-07-27

涼しい島のアトリエで、午前中は気が向いた時にだけアブストラクトに挑戦しています。自由気ままに、好き勝手な絵を描いている。日課のラジオ体操 第1第2をやったあと、昼すぎには気が向くと読書三昧の老人らしい夏休み中です。
引き続き、戦時下での、西欧の画家たちはどんなふうに過ごしていただろうか、と気になっていろいろ調べてみる。日本のような、国家に迎合して売れた画家などほとんどいないことだけはすぐに気がつく。むしろ戦火を逃れて避難するか、反戦を訴える画家のほうが圧倒的に多い。自由主義の国アメリカでも、戦意高揚のために描くのは商業イラストレーターやディズニーの漫画くらいで、大政翼賛の芸術家などいなかった。本然の芸術と戦争では次元がまったく違う。そう考えると、太平洋戦争中の日本人画家たちが、いかほど正気を失っていたかに愕然とさせられる。人間が国家に洗脳されるということの恐ろしさ。
北園克衛が戦後1947年に書いた詩論集【 黄色い楕円 】のなかのクリティック「絵画の世界」を読んでいたら、前回ヤツガレがやり玉にあげた横山大観の(戦後の)ことにもふれていた。イタリア・ルネサンス画人伝のヴァサアリに比して、《 それにひきかえて東洋の画家やその批評家、研究者たちの態度には、いかにも不自然なところがある。かれらはいつも自ら超人化し、またその研究家や批評家たちもかれらを偶像化することが、自らの使命であるかのような有様である。今日なを自分たちと同じ空気を吸い、配給制度の下に食い 脱糞している横山大観小林古径安田靫彦といったような日本画家、梅原龍三郎安井曾太郎のような洋画家にたいしてさえ、もう何か超人的な姿を与えようとしているような不可解な文章を書いているのである。こういう不自然な、事大主義にとりつかれた世界から、永遠的な芸術が生まれてくるということはありえないのである 》と、戦中には大政翼賛会の下でぬくぬくと生き延びた画家たちや、それらの取り巻き連中の戦後をバッサリと切り捨てて痛快だ。
そして、《 またそういう文化土壌からは、世界的なスケエルをもった芸術は生まれてはこないのである。すべての善き芸術は自由のなかから生まれてくる 》とも書く。自由気ままに絵を描くことの大切さが、ぼくにでさえも身にしみてよくわかる。