夏のアトリエ日記

osamuharada2014-07-21

孫が通う幼稚園にたのまれて、揃いのTシャツをデザイン(キャラクター入り)してあげました。園児用だけかと思っていたら、ママさんたち用もつくったそうでぼくの娘まで着るらしい。ついでに男性サイズまでプリントしたとのことで、今夏はヤツガレもお揃いで着ることになりそうです。さて幼稚園も夏休みに入ったところで、ジイさんのほうもこれから夏休みだ。
くだんの鉄斎【清風】を、今夏のテーマにしてみました(どうでもいい話ですね)。さっそく昼下がりの中庭で実行。パラソルの影に入れば、四方より涼風通りすぎて快適このうえなし。出たばかりの新茶「大隅」を喫す。これは鹿児島県大隅半島有明」の二番茶を摘んだ新茶なのです。一番茶「有明」の持つ旨味(アミノ酸)が少ない分、青々としたフレッシュネスが際立っている。まさに【清風】を味わうにふさわしき新茶。
しかし、こんなに素晴らしい煎茶をつくりだす鹿児島県も、ゲンパツ再稼動させたらもう未来は無くなっちゃうよ。いまでも諸外国のほとんどが東日本産の食材を輸入禁止静岡県産の茶葉も輸入していないという現実をもっと知ってほしいな。どうせならアベはアメリカも中国も風評被害で訴えればいいのにコレだけはしない。外ヅラだけはいい?薩長政権。国内向け大政翼賛ニュース(食べて応援)ばかり聞いていちゃ、世界のことはわからない。
庭の白タイルのテーブルで、「北園克衛とVOU」(1987年)を読む。追悼号として刊行された本。針生一郎が戦時中の北園克衛の詩作を、〈時勢屈折〉として難じていた。「モダニズムと伝統主義の相克」と題している。追悼号にしては、ちょっと意地が悪いな。というわけで戦争中の芸術家たちがどう生きたかが気になり、戦争画についても調べています。というのも最近4Kテレビで、藤田嗣治の「血戦ガダルカナル」や「シンガポール最後の日」「アッツ島玉砕」の出る番組を見てショックを受けたからです。4Kではリアルすぎて目を背けたくなることもある。フジタは最終的には〈一億玉砕〉が、自己の最高傑作になるだろうと本土決戦を心待ちにしていたという。その前に敗戦したので、フジタの望みは叶わなかったが、〈玉砕〉という美化された「死」そのものを描きたかったわけだね。戦争は芸術家をも狂わせる。
洋画家フジタはどうやら戦争画に病的な陶酔をしていたらしいが、日本画家のほうの横山大観は、大政翼賛もいいところで、軍から注文された富士山&旭日の絵を描きまくり、ボロ儲けをしたあげく、自ら爆撃機を買って帝国陸軍に寄付までしたそうだ。コイツこそ戦犯となるべき画家の筆頭のはずだと思うのだが…。日本近代画家の多くをヤツガレが嫌いなのは、絵を見て感じるだけでなく、それよりその理念を気味悪く思うからなのかもしれない。芸術家として尊敬することがとてもできないのです。
【清風】のなかにありながら、つまらないことばかり考えてしまった(これも薩長政権のせいだぜ)。さてふたたび、鉄斎や劉生の正しく清らかな芸術境に回帰して、また爽やかな新茶を楽しむことにいたします。
前に書いた「藤田嗣治のアトリエ」→ [id:osamuharada:20110804]