梅雨の茶室にて

osamuharada2014-06-19

東京の喧噪から離れて島のアトリエに落ちつきました。くだんのアキオに習い、ヤツガレも慣れ親しんできた二階の古い茶室で昼寝に読書。そしてもちろん今年の新茶を喫す。自然の中に居れば、梅雨どきの涼しさ静けさは格別です。たまっていた本を乱読。鉄斎いうところの《 閑臥書を枕に安楽境 》をやっています。
ネットで購入した古本、メドベージェフ著『 NUCLEAR DISASTER IN THE URALS 』(ウラルの核惨事)を読んで、これからの日本で起こりうる事態を予測する。これはかなりつらい。つい体制の正体を暴き幽閉された詩人エズラ・パウンドのことを思い出す。これじゃ〈安楽境〉にはほど遠い。
息抜きに中国美術史や、木村荘八『注釈 小唄控』などを読む。ほかに歌舞伎の『芝居名せりふ集』なる趣味本もあり。ついつい好きなツラネを声に出して読んでしまった。たとえば白浪五人男の勢揃い、忠信利平の【 月の武蔵の江戸育ち がきの時から手癖が悪く 抜け参りからぐれだして 旅を稼ぎに西国を めぐって首尾も吉野山 】だの、【 いま牛若と名も高く 忍ぶ姿もひとの目に 月影ケ谷 神輿ガ嶽 今日ぞ命の明け方に 消ゆる間近き星月夜 その名も赤星十三郎 】などなど。
勢揃いといえば【 問われて名乗るもおこがましいが 】の日本駄右衛門さん。「ニッポン」ダエモンと発声するけれど、これを黙阿弥が書いた江戸時代の終わる頃、文久二年(1862年)では、いまの「日本」というような統一的概念は誰も持っていなかったはず。(前に龍馬のところでも書きました→[id:osamuharada:20101005]) いったい駄右衛門さんいうところの「日本」って、どんなイメージだったのかな、と横道にそれてしまった。なにしろ「白浪(犯罪者)五人男」の大ボスが日本駄右衛門なのですよ。【 もはや四十に人間の 定めはわずか五十年 六十余州に隠れのねえ 賊徒の張本・日本駄右衛門 】と言っているからには、江戸時代の日本は60あまりの州に分かれた、アメリカ合衆国のような感じに思えていたのでしょうか。
明治になってムリヤリ天皇中心の統一国家、すなわち「大日本帝国」にさせられちゃう。これって歴史的には逆行しているように思えるけど...。 おちょぼ口のアベが「日本を、取り戻ちゅ。」と言ってるのも結局コレのことなんだよね。日本帝国軍まで復活させて、再び中国や朝鮮半島を侵略するのが薩長血族の見果てぬ夢なのかね。
また横道だけれど、歌舞伎で『白浪五人男』が初演された文久二年のあくる年、文久三年といえば、長州忍者だった五人の若者、のちの総理大臣・伊藤博文鹿鳴館井上馨たちが、ロンドンまで密航をした年でした。こっちの「長州五人男 」の仲介をしたのは、英国が東アジアを植民地化するためにつかわしたジャーディン・マセソン商会。当時は上海が本店だった。横浜が開港して最初にできた支店の支店長さんが、吉田茂の養父吉田健三という男。つまり今の漢字が読めなくてマンガ好きアソー太郎の曾祖父が、ジャーディン・マセソン商会の横浜支店長だったわけだ。(アソーのもう一方のほうの高祖父は、薩摩忍者の大久保利通
ついでながら、このジャーディン・マセソン商会横浜支店(英一番館と呼んでいた)を建築したのが、日本一のゼネコン鹿島建設というわけ。鹿島のHPに詳細あり→http://www.kajima.co.jp/prof/overview/160-3.html  事故後いまだ収拾つかない福島第一原発を造ったのも鹿島→http://www.kajima.co.jp/prof/overview/160-6.html 、311以後は除染や凍土壁などでまたまた儲かっちゃって笑いが止まらないのも同じ鹿島。140年も前から代々「薩長政権」とつるんできているんだからバカバカしくなるよね…。さてまた気をとりなおして、楽しき読書に戻ろうか。