二人の山下清

osamuharada2013-11-04

開催中「山下清展」のカタログを貰ったので眺めていたら、映画『裸の大将』を撮った頃の写真が載っていた。山下清と彼を演じた映画俳優・小林桂樹の二人。大好きな映画だったので、思いがけず初めて見るこの写真に感激してしまった。子供の頃に観ていたぼくの感覚では、何故か小林桂樹演じる山下清のほうが本物らしいと思っていたわけね。
当時、森繁久彌の〈社長シリーズ〉には欠かせない女房役が小林桂樹。このサラリーマン・コメディはヒットして延々と続くのだが、その絶頂期に喜劇『裸の大将』(1959年)の主役がまわってきた。放浪画家・山下清ブームに乗っかってつくられたにせよ、映画は豪華キャストの娯楽超大作として大ヒット。前に書いた映画『裸の大将』のこと→[id:osamuharada:20121012]
山下清は、アメリカの雑誌『LIFE』の記者が「放浪中の天才画家」と報じたため、やがて探し出され、1956年東京大丸デパートの展覧会でブレイクした。この時の入場者数がなんと80万人を越えたというから驚く。この展覧会は、その年に22ヶ所で開催され、あくる年には50ヶ所の展覧会場を巡ったそうだ。いきなり戦後の日本美術界とはまったく関係のない、たった一人の新人の絵画展が、この騒ぎですよ。絵が好きな少年時代のヤツガレにとっても衝撃的でした。しかし山下清の絵に感動することはほとんどなかったな。「日本のゴッホ」とまで宣伝文句に謳われたのを、子供ごころに何だか変だなとも感じていた。
いまでは「サヴァン症候群」(自閉症や知的障害を持ちながら、ある特定の分野で非常に卓越した才能を発揮する症状)と呼ばれているが、あの頃は、頭の病気でとても気の毒な人だとは思ったけれど、見た目には淋しそうな普通のオジサンだった。映画のほうの感動的な山下清小林桂樹を見るまではね。
映画は、戦中戦後にかけての長い放浪生活から無理矢理に引き戻されて、いよいよ山下清の一大ブームが始まる頃までを丹念に描き、再び逃亡するところで終わりをつげる。画家というよりは、純粋なる自由人・山下清として描かれていた。それも社会風刺をこめた大人の喜劇だ。小林桂樹の軽妙な演技が光っている。東宝がなかなかDVD化しないのは、天皇制や戦争批判が根底にあるからだろう。
山下清は1922年(大正11)東京浅草生まれ。小林桂樹は一歳下の1923年群馬県高崎の生まれ。戦中、山下清は徴兵を恐れて放浪生活をしていた。21歳で母親から強引に徴兵検査場に連れてゆかれたが不合格。彼にはめでたく兵役免除とあいなった。母親は息子を非国民として恥じた。映画ではこのあたりのシークエンスが喜劇的な見せ場になっている。同じ頃、すでに映画俳優としてデビューしていた小林桂樹は、徴兵検査で甲種合格となり兵役についた。
山下清は戦争をこう語っている。《 戦争と言うものは一番怖いもので 一番大事なものは命で 命より大事なものはない 命を取られると死んでしまう 死ぬのは何より一番辛いもので 死んでしまえば楽しみもなければ 苦しみもない 死ぬまでの苦しみが一番辛い 戦争より辛いものはない 》