荷風 万太郎

osamuharada2013-09-12

江戸から明治へと様変わりした後に生まれた東京の作家には、まだ過去になったばかりの、江戸時代への憧れやノスタルジーのようなものが強く残っていたと思う。永井荷風は東京山の手の出身。荷風が慶応の教授時代に主宰した「三田文学」で、新人デビューしたのが生徒だった久保田万太郎。東京浅草の出身。
ぼくは若い頃、この二人の東京の作家に耽溺していたことがある。文字を読んでいるだけなのに、くっきりと過去の東京が目に浮かび、作者が東京を通じて失われた江戸の憧憬へと読者をいざなうところが好きだった。
例えば、荷風の小説でいえば『すみだ川』、万太郎の小説では『末枯』『市井人』。明治の話でありながら、近代化に背を向けて、江戸の名残のような世界に住み続けている登場人物たち。万太郎の書いた戯曲集を読めば、台詞の一言一句でホログラムのように人物がその場にたち現れる。万太郎の俳句は言葉というより一幅の絵として観ることができる。どれも東京の人の心情や風物で埋め尽くされていて、ローカリズムが文芸として昇華されていた。
 311以後の東京を想えば、ぼくには、何かが大きく失われてしまったような空虚な感じがしてならない。町も人もやがて変わるのは常なのだが、このたびの急激な変化は、今までに体験したことのない、どこかが浮き足立ったようで、宙ブラリンの中途半端な感じがする。何よりも東京が単なる地名にしか過ぎない味気ない町に変わったような気がする。奇妙な喪失感。そして311以前の東京に郷愁を感じたりするということもない。代々東京生まれの東京ッ子としては、今はただ荷風や万太郎を再読しながら、我が内なる東京アイデンティティまでは失わないよう気をつけることにしよう。
   文 人 画 な ら ひ は じ め の か ぶ ら 哉   荷風
   猫 の よ く 眠 る こ と よ の 鰯 雲    万太郎