バードランドの子守唄

osamuharada2013-07-04

【 BIRD 】ことチャーリー・パーカーが好きで、その名を冠した伝説のジャズクラブ【 BIRDLAND 】にも憧れた。52丁目のブロードウェイにあったが1965年に閉店。 パーカーとこの店へのオマージュとして、ピアニストのジョージ・シアリングが【 LULLABY OF BIRDLAND 】を作曲する。ぼくは十代の頃、シアリングのクールで都会的なピアノにシビれて、当時すでにスタンダードナンバーとなっていたこの曲「バードランドの子守唄」も好きだった。ピアノとヴァイブのユニゾンで奏でられる独特のスタイル。勝手にこれがニューヨークのイメージだと空想にふけっていた。
その後【 BIRDLAND 】 は場所をかえて‘86年に復活した。そしてまた数年前に引っ越して、現在はタイムズスクエア近くになっている。【BIRDLAND】 には、おりしも好きなステイシー・ケントが出演していた。実は、ひと月前からしっかり予約を入れておいたのです。当日、ものすごい喧噪のタイムズスクエアを通り抜けて、やっと店にたどり着くことができた。あまりジャズを聴くムードじゃなさそうな、雑然として渋谷っぽい町並み。ここも人が多すぎて息苦しくなる。案の定、大きな店内も満員御礼になっていた。
ステイシー・ケントのステージは、サックス奏者の夫のバンドで、和気あいあいとしてくつろいだ感じが良かった。まずガーシュインを唄い、お得意のボサノバではギターをつま弾き「CORCOVADO」を唄う。ご亭主のサックスはスタン・ゲッツ風でクール。間にはブロッサム・ディアリーばりフランス語のジャズもありの、ファンにとってはサービス満点のライブだった。すこしだけ現代を忘れて、往時のマンハッタンにいるような気分に浸れた。
そのむかし来たときには、ディジー・ガレスピーや、ミルト・ジャクソンを生で聴くことができた。しかし、ニューヨークといえばジャズでしょと考えるのは、もはや老人だけですね。【BIRDLAND】のお客さんも高齢者がほとんどで、ステイシー・ケントのお父さんまで来ていた。ステージがはねて夜も更けた頃、外に出てもまだ人々の喧噪は終らない。どこのレストランもカフェもいっぱいだ。まるでバブル時代の東京だね。どこを探しても、「バードランドの子守唄」という風情は残っていなさそうだった。
前に書いたステイシー・ケント。英国でデビューしたけれど、ほんとはアメリカ生まれ。→[id:osamuharada:20091113]