近代美術館にて

osamuharada2013-06-18

MOMA(The Museum of Modern Art)ことニューヨーク【近代美術館】は、もはや美術好きのための聖域ではなくなってしまったようだ。リニューアル後からは、よくある「観光&みやげ館」といった感じになった。キュレーターも〈集客力〉だけを念頭においているのか、どうも総花的に、有名作家の代表作品を適当に並べておけばすむと考えているようで底が浅い。それにしては観覧料が高すぎる。
日本人観光客向けサービスのつもりか、ポップアートの部屋に草間弥生の男根ソファが一点置いてあるのには笑えた。カテゴリーが違うだろうに。日本の現代アートがこの水玉オバサンや、奈良&村上サブカルだけしかないというのでは、いくら観光用だといってもちょいと情けない。というかこの情けない現代アートが、日本の情けない現代を象徴しているのだと考えたほうがよいのかも。それにつけてMOMA、情けなや…。
ウォーホルのキャンベルスープ缶は、もはや世界中で見飽きられたせいか、せまい通路にポツンと置かれていて、そこだけはコンビニの前にでも立っているかのような錯覚をしちゃう。もはやポップアートは現代批判という効力を完全に無くしてしまっている。消費文明を批判した作品にバカげた高値がついて、ついには消費されてしまったのだろうか。1960年代には確かに存在していたポップアートの輝きは、すでに失せてしまっていると思えた。マリリン・モンローって誰なんだよソレ?という時代が来たなら、すべてはおジャンとなる。
マルセル・デュシャンは、ここではポップアートの教祖のような扱いを受けている。有名な便器のほうではないが、自転車の車輪を椅子にくっつけただけのレディメード作品が置いてある。美術サロンや、支配階級の美術館そのものを否定したはずの反芸術概念が、一人歩きをして、ついには美術館に鎮座することになるとはマカ不思議なる世界ですね。ヨーロッパの概念的芸術論が、歴史の無い国アメリカに渡り、大衆化してポップになったというだけのこと。
抽象表現主義の部屋では、ポロックのドロッピングだけが大人気で、ここで観光客は皆々絵を背景にしての記念撮影(上の写真参照)。どうもこれが定番コースになっているらしい。みんなきちんと順番を守りつつ行儀よく並んで待つ。ポロックでも右横にかかる初期の手描き作品には誰も目もくれない。それだけでなく、バーネット・ニューマンもマーク・ロスコも、観光客の眼中にはないようで通り過ぎてゆく。しかし皆さん楽しそうで何よりだね。
この美術館でお得なのは、どの作品(ゴッホセザンヌマチスピカソなど)でも、いくら写真を撮ったってOKなところ。フラッシュさえたかなければ、至近距離からでも撮ることができ大変ベンキョウになりました。カタログなど買わずにすむ。そして美術館の内部ではなくなり、外から自由に入れるMOMAのレストラン『モダーン』の料理はとても美味かった(値段は高いが)。ただし昼時は、近所のエリート・サラリーマン&OLさんたちでごったがえす(ので要予約です)。おみやげ館(ミュージアムショップ)も、美術館と関係なく、外から自由に出入りできるが、ぼくはここでの買いたい物はゼロでした。いやげもの(byみうらじゅん)ばっかじゃないかと思ったね。
とまれ、MOMAのおかげ様で、つくづく現代アートのアホらしさに気がづき、そのクビキから逃れることができたことは、ヤツガレにとって最大の収穫なのでありました。