ウディ・アレンを聴く

osamuharada2013-06-15

昨夜は、セントラルパーク東側の76丁目【 Café Carlyle 】で、ウディ・アレンが演奏するジャズを聴きました。むかし満員で聴きのがしたことがあり、今もまだ別の場所で続けていたのか、と懐かしくなったわけ。最近の映画で見ると、よぼよぼの爺さんを想像していたけれど、クラリネットを吹奏しだすと、さすがにニューオーリンズ・ジャズだけあって、元気いっぱいになる。すぐ近くで見ると顔の色艶がよくて若々しい。人前で演奏するジャズが一種の健康法なのでしょうね。バンド仲間にボソボソと話すだけで、客あしらいなんか全然しないところが、かえってその〈自閉症〉ブリにも年季が入ったのか、ウディ・アレンらしくて可愛らしいよなァと思ってしまった。(隣の客が写真を撮っていたので、ワタシも負けずに一枚、がコレ。)
1965年の喜劇映画『何かいいことないか子猫チャン』に初出演したときからの、ぼくは古いウディ・アレンのファンなのです。この映画では脚本も書いていて、まさに〈自閉症〉の若者を愉快に自演していた。たしかパリのセーヌ川のシークエンスだったかな、夜の河畔でテーブルセッティングを始め、花を飾り、自分自身の誕生日を、ひとり毎年ここで祝うという男の役。それをいとも当然の如く、しかも楽しそうに演じるウディ・アレン。まったく新しいタイプのコメディアン出現!とぼくには感じられ、たちまちハマってしまったのだった。
自身の監督作品では、白黒画面のオープニングタイトルに、たいてい古いジャズが掛かるのが常套だから、昨夜は演奏を聴いていたら、過去に好きだったウディ・アレン映画あれこれが、ぼんやりと目に浮かんできた。思い出してみると、ぼくの場合は特に好んだのが初期のコメディで、71年『バナナ』、72年『ボギー!俺も男だ』、72年『誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう』、73年『スリーパー』、77年『アニー・ホール』、78年『マンハッタン』、80年『スターダスト・メモリー』のあたりまで。という古いのばっかりになっちゃう。
今でもほとんどの新作は観ているけれど、ウディ・アレン自身の演技力がものたりないな、もちろん昔と比べてね。キャラがただのルーティンになってしまい、あれじゃ村上春樹小説の主人公のようだよね。それに多分、ぼくにはミア・ファローと一緒になって以来の映画があまり好きじゃなく、ダイアン・キートン共演時代のほうが好きだということかもしれないな。〈女優で観る〉のところにも書いた93年『マンハッタン殺人ミステリー』。このダイアン・キートンが特によくて、ここではウディ・アレンのほうが演技で食われているのだが、そこがまたいいのよ。この映画、ほんとはミアが演じるはずだったがドロドロの訴訟中で、ダイアンが代わりの友情出演。監督としてのウディ・アレンも久々に良かったと思ったが、世評はあまりかんばしくない映画。本人も息抜きになったとだけ言っていたが。
やっぱりそのご本人を目の当たりにすると、一種のオーラのようなものを感じるもんですね。ずーっと昔から変わらない、気取らず平凡なファッションまでも、都会的でカッコいいなと思ってしまったのは、贔屓の引き倒しになっちゃうかな。ウディ・アレンはこの【 Café Carlyle 】から歩いてすぐのアッパー・イースト、セントラルパーク沿いの一等地に居をかまえている。見ていると、【 NEW YORK 】こそが、神から与えられた【 約束の地 】だったと信じるユダヤ人。という感じがしてくるから、面白いもんですよね…。