BARと居酒屋

osamuharada2013-04-30

居酒屋通いがオヤジたちの間でブームになって久しい。還暦もとっくに過ぎている同い年(団塊世代)の飲み友達は、寄るトシナミで酒量が落ちたか、すでに肝臓や糖尿をわずらって、現役はめっきり減ってしまったようだ。いま居酒屋ブーム先端をいくのは、定年近いオヤジ連中か、B級グルメを気取った五十男だろうか。低迷し閉塞してゆく今の日本社会では、居酒屋くらいしか他に逃げ場がないということかもしれないな。ほんとに酒が大好きなら、ユックリ家でいい酒を楽しめばすむというのにね。しかし昔から、赤ちょうちんはココロの憂さの捨てどころ、小皿たたいてチャンチキおけさだった。今のブームというのは、やっぱりあれ昭和レトロのつもりなのでしょうか。BGM(古いね)が三波春夫の店だったら、ワタシもちょっといってみたい。
BS放送で始まったばかりの頃、酒場放浪記・吉田類さんのファンになった。イラストレーターという自由業であるところもいいな(絵は見たことないが)。居酒屋ブームの火付け役ですね。場末感ただようようなキャラクターが素晴らしい。俳句のヘタさ加減も楽しいね。それまで居酒屋評論界?を独占してきた、もと資生堂デザイナー氏より、庶民的で気取らないところが人気なのだろう。無駄なウンチクたれないところも好ましい。しかしあの番組を見て、居酒屋へ行ってみたいと思ったことは一度もないな。たんに趣味のモンダイですが。
バブル全盛の大むかし、居酒屋はうらぶれていて、小じゃれたBARが流行っていた。モダンからクラシックまでインテリアは様々だったが、上から目線の押し付けがましさがあった。しかも付け焼き刃的キワものデザインで、どこの店も落ち着けなかった。仕舞いには映画『エイリアン』で有名になった画家H.R.ギーガーのデザインした不気味なバーまでできて、物見遊山でいってはみたが、笑えたけれどウラを返す気にはとてもなれなかった。いずれもバブルがはじけると雲散霧消した。あれらの跡地はいまどうなっているだろう。
その頃からヤツガレにはホームバーを自分でつくっちゃうという、マイブームが到来していた。イラストの仕事場にバーカウンターをつくったり、オサムグッズソーダファウンテン(代官山)の店内にもバー、パレットクラブ1階に来客用ホームバーをつくり、ついには島のアトリエの庭にバー小屋を一軒建ててしまったり、とBARづくりが趣味になったこともあった。バーカウンターや、革張りのバースツールまで自分でデザインした。アンティークのグラスも盛んにコレクションした。しかしさすがに還暦過ぎてからは、もうタクサンという気がしてきたのは老いのなせるところか。いまや朝のBARで煎茶を喫するほうが、夜の酒飲みより多くなった。BARが腰掛けのある茶室へと変身。BGMは小鳥たちの鳴き声でこれまた老後の楽しみ、と島のマイBARにて、いまこれをヒマツブシに書いたところです。
このBARの内装:[id:osamuharada:20051003] このBARの飾り:[id:osamuharada:20060819] この BARの絵:[id:osamuharada:20110923]