笑顔の土偶たち

osamuharada2013-03-25

平凡社新刊の『縄文美術館』が素晴らしい。うたい文句には《土器・土偶の優品六〇〇点を美しいオールカラー写真で紹介する最新の縄文図鑑》とある。くだんの〈図鑑戦争〉とは関係なさそうだが、これなら子供でも楽しめるかなと孫(三歳半)に表紙をちらっと見せてみたら、すぐにふざけて土偶の顔真似をしてくれた。本文には、【笑顔】の土偶がたくさん出ている。また孫に見せると、そのひとつずつの顔真似まで大得意になってやる。それがあまりにもソックリな表情の顔になっているので、こんどはこっちが大笑いしてしまった。世界中の新石器時代土偶や土面を見渡しても、縄文土偶ほどの屈託のない晴れやかな【笑顔】というやつはまれなようです。こんなのはまだ他で見たことがない。
ひょうきん者の孫のせいで、紀元前の一万年をさかのぼる、ご先祖さまとその末裔が一元化していることを直感できた。日本人である我々は、縄文時代人と同じ遺伝子の流れのなかで、今もたゆみなく存続している同じ民族なのだってことね。そしてヤツガレの持論である、縄文時代からつちかわれた民族的【美意識】もまた、連綿と続いていて絶ゆることはないとあらためて考察することができました。
この図鑑のメインは、もちろん縄文土器群になるわけですが、〈最新の〉というくらいだから、多岐にわたる新発掘のものが並んでいて想像力がかきたてられる。近年、長大な三内丸山遺跡をはじめ、日本列島のあちこちで発掘されてきた膨大で驚くべき遺跡物を眺めていると、この図鑑の表題である『縄文美術館』がほんとにできたらいいのになと思う。しかしその時こそ〈日本美術館〉とでも正さなくちゃ、世界の美術館にたいして恥ずかしいことになるだろうな。
それにしても、奇妙な〈縄文〉と〈弥生〉というような時代区分は、そろそろやめにしてくれないかしらね。「縄文」っていう、おどろおどろしき呼び名は、明治10年に東大の〈お雇い外国人〉(多分スパイを兼ねる)として2年ほど日本に来ていたモース : Edward Morse とゆう米国人が命名した。東京の大森貝塚でたまたま発見した土器に縄目が押してあったことから、 Cord Marked「縄文」Pottery 土器って仮につけておいた呼称に過ぎないのね。見たままの縄の英語を、そのまま直訳しただけの符丁のようなもんだよね。
モースっておじさんには、やがてそれが日本の時代区分をあらわす代表的な言葉になったり、世界最古の土器文明が日本列島のすみずみで一万年以上も続いていたことなど、まだ知るよしもなかったんだよね。しかしアメリカ人が勝手につけちゃった名称が、いまだに日本の教科書でも使われているということは、明治以降の日本が欧米の植民地であることの動かぬ証拠だよね。最近のアベノミクスなる変テコな米語も、悲しきコロニアル語だな。断腸亭なら「日本語の下賎今は矯正するに道なし。」って書くところでしょう。
ついでに「弥生時代」というのも変テコですよね。戦争に明け暮れる時代になったのに「やよい」じゃ穏やかすぎるでしょ。こっちは明治17年に、今の東京都文京区は弥生町の貝塚で偶然に見つけた縄目のない無紋土器に、御用学者が適当につけちゃった名前なのですよ。その単なる町名を、紀元前300年くらいから西暦300年頃まで、数百年間の「弥生時代」ってことにしちゃった。実にいい加減なもんだな。しかし一万年間も続いた縄文土器を持つ人々が、弥生時代で消えたわけじゃないんだよね。縄文土器は消えても、民族のほうは多少の混血はしながらも北海道から沖縄まで生き続けてきたということ。それを十把ひとからげに土器だけで編年するのはおかしいよ…。と、またオハコ邪馬台国=海洋系縄文人の話をしたくなりそうなので今日はオシマイ。

縄文美術館

縄文美術館

表紙は土偶でなく、石を彫った岩偶です。伊藤若冲の石仏五百羅漢(京都石峰寺)にもよく似ていると思う。