3.11ノート

osamuharada2013-03-11

長かったようで短くも感じる、2011年3月11日からの二年間が過ぎようとしている。あの日は東京の自宅にいたが、地震ではほとんどなにも被害がなかった。大きく長い横揺れだったので、どこか遠いところで大地震が起きていることだけは察知できた。津波の被害状況はなかなか伝わってこなかった。
いま自分のブログを読み返すと、次の12日、原発事故が大きなショックとなって襲ってきたことが、ありありと想起される。前年の12月20日には「今そこにある危機」と題して、〈原発震災〉について書いていた。そのたった三ヶ月後に、よもやその危機が的中することになろうとは…。
3月14日午前の、3号機爆発の報を聞いて、ぼくはその日の午後に羽田から西へ飛びたった。〈メルトダウン〉を確信したからだ(実際は5月まで戒厳令下のようにメルトダウン情報は隠蔽された)。何人かの親しいひとには、急いで被曝の危険性を知らせたが、誰も関心を持ってはくれず、余震や停電のほうが不安なようだった。説得をしている暇はなかった。ぼくのとった行動は、いまでは友人たちから笑い話にされているようだ。それでもみんなが無事であってくれれば何よりだ。
現在もガイガーカウンターをぼくは手放さずに持ち歩いている。どこにいても計測メモは怠らない。これは個人の自由だと割り切っている。他人にまで注意をうながすようなことはしない。人災事故前までの、国が法律で定めた年間1ミリシーベルト以下を勝手に遵守している。それにしても3.11直後に「暫定」だったはずの、国の〈暫定基準値〉はいつになったら元に戻すつもりなのだろうか。
〈ただちに人体への影響はない〉のほうは、とりあえず間違ってはいなかったようだ。チェルノブイリ事故では「ただちに」ではなく、五年後から様々な健康被害が急激に増えていたことは、すでにはっきりデータ化されている。ところが被曝と健康被害に「関連性がある」とは科学的に証明されていないのだという。しかしまた被曝と健康に「関連性がない」ということの科学的証明も、全くなされていないのではないか。今の科学では、関連があるのかないのか、結局どちらの証明もできはしない。まだ「今そこにある危機」は続いていると思うのですが…。