文庫版『アウトサイダー』

osamuharada2013-01-05

旅行で持って歩くには、【文庫本】がいちばんですね。読みながら、サイドラインを引けるし、書き込みもでき、閉じればポケットに入り、なんといっても軽いところがいい。デジタルなどで読みたくない。
今回は、若い頃に読んでハマって以来、その後のほとんどの著書を初版で読んできたコリン・ウィルソンの本。その最初のヒット作『アウトサイダー』が、先月ふたたび文庫化されていたので、さっそく旅行用にとNETで買っておいたのです。
ウィルソンが二十五歳で書いた1957年『アウトサイダー』は、実存主義の文芸評論という内容で、もともと文学好きではないぼくには、かえって痛快な感じがしたことを覚えている。歯に衣着せず実存主義文学のペシミズムをまず批評している。その一節、《 ある強烈な意識の状態を垣間見たと思いながら、自分にはなんとしてもその状態をとどめておくことができぬのを、ぬきさしならぬ事実として自覚した詩人が、非常な絶望を感じるのも不思議ではあるまい。サルトルや、カミュや、ヘミングウェイによって暗黙裡に語られ、T・S・エリオットや、オルダス・ハックスレーといった作家によってあからさまに示されているこの主題は、「いかにして人間は強くなりうるか?環境の奴隷であることから、すこしでも逃れるにはいかにすべきか?」という疑問に導く。》
そして十八、十九世紀のロマン主義アウトサイダーについて考究し、さらにドストエフスキー、T・E・ロレンス、画家ヴァン・ゴッホ、バレーのニジンスキー、哲学のニーチェと広範囲に及び、評論は続いてゆく。ちょっと目がくらむけれど、いいたいことはアウトサイダーが抱えている実存の問題をどう考えたらよいのだろうか、ということにつきるだろう。
今にして思えば、アウトサイダーにとっての《ある強烈な意識の状態》というものを、「文学」ではなく、ぼくにとって最大の関心事であった「美術」のなかに置き換えて解釈し、勝手に読んでいたような気がする。半世紀も前の話なのですが…。
実存主義アウトサイダーの問題をのり超えて、ウィルソンが、いわば自身のオプティミズム的な「新実存主義」にたどり着いたと思えるのは、ずっと後の1984年『右脳の冒険』かもしれないな。これも是非文庫化して欲しい一冊。他に評論では1972年『バーナード・ショー』も、文庫でまた気軽に読んでみたい。
ウィルソンを小説で選ぶとなると、ぼくの好きな本は前に書いた『暗黒のまつり』です。→[id:osamuharada:20090917] その続編のような1965年『ジェラード・ソーム氏の性の日記』もいい。そしてウィルソンの分身が主人公のような1967年『ガラスの檻』も好きだった。これはウィリアム・ブレイク研究家が挑む連続殺人ミステリーになっている。そしてSF小説なら1969年『賢者の石』がとても面白い。まだまだ沢山あるけれど、できたら新しい文庫本で、ごく気楽に再読してみたいと思った。 ↓今度の文庫化では、上下巻に分けられているので、より持ち運びやすくなった。

アウトサイダー(上) (中公文庫)

アウトサイダー(上) (中公文庫)