撮影・宮川一夫

osamuharada2012-10-06

夏にWOWOW黒澤明監督特集をやっていました。ハイビジョン・リマスタリングされた画像がフレッシュで、こういう技術の進歩は嬉しい。半世紀前の映画なのに、たった今プリントがあがったばかりのようだった。映像ということでは、なかでも宮川一夫が撮影した、‘61年『用心棒』が好きだな。今朝も起きたら再放送してたのでまた途中から見てしまった。
『用心棒』は、ダイナミックなCompositionの妙が、存分に楽しめる作品。被写界深度の深さが、砂塵や長雨の描写ではさらに奥深くなる。シネマスコープの横長画面に、二次元的な構図と三次元的な奥行きを駆使して、ドラマの面白さを映像でも語っている。 何度も観たから、ときどき音を消して映像だけで見てみると、モノクロの画面のすみずみまでがカッコイイ。どこをとっても絵になっている。 東宝の黒澤監督が、わざわざカメラマンだけ大映専属の宮川一夫を招来して撮影した作品。 もう一本、黒澤明の名を世界に知らしめた’50年『羅生門』(これは大映作品)も宮川一夫の撮影でしたね。 映像にこだわると、大監督といえども、よその会社の超一流カメラマンに頼みたくなるわけですね。なんとも贅沢な映画づくり。けだし名人は名人を知るとはかくのごとし。
松竹の小津安二郎も、宮川一夫を起用したくて、こちらは監督自身がひとり大映に出向いていった。‘59年『浮草』という傑作。ローアングルの小津調を取り入れても、ひと味違う宮川スタイルになっている。この映画は’34年『浮草物語』の、小津自身のリメイクだが、こちらはカラー作品。ここでも宮川撮影お得意の雨のシークエンスは、何度見ても飽きることがない。中村鴈治郎京マチ子の、土砂降りの雨のなかの痴話喧嘩がいいですねえ。黒澤『羅生門』の強烈な大雨と双璧をなす、雨の名場面。この部分だけでも立派な美術作品として鑑賞にあたいする。いつもは自らファインダーを覗く小津が、宮川カメラマンの前では、敬意を表しておまかせにしたという。本物のプロ同士の仕事には謙虚さがある。映像に気品がただようのは、作り手たちの矜持が静かに反映しているからでしょう。
ちなみに『用心棒』の風に舞う砂塵は、ほんとの砂では重くてあまり舞い上がらないため、廃材などを燃やした灰を助監たちにつくらせて、砂塵のかわりに撮影したよし。また『羅生門』の大雨は、逆光で透明な雨が写らないため、水に墨汁を大量に入れて放水させたそうです。まわりのスタッフたちも大変だっただろうな。しかしなんという映像へのコダワリかただろう!
それから忘れがたいのは、溝口健二監督の‘53年『雨月物語』での宮川のカメラ。ここでは「幽玄」という抽象的表現さえも映像化できるという、宮川一夫の力量が最大限に発揮されている。カメラマンの自己主張は皆無で、観客を映画というより、遠いむかしの絵巻物の世界へといざなってくれる。宮川撮影は観客にカメラの存在を忘れさせる。
イヤーッ、映像ってほんとにいいもんですね、と水野晴郎で言いたくなってきた。ブログに宮川作品の写真を載せたいところだけれど、日本の映画会社はこうゆうことにとてもウルさいのでやめておこう。 映画と関係ないけど、替わりにヘタなカメラで、たまたま目の前に置いてあるから、島の地産地消の花の写真にしておきます(逆光だし手抜きだね)。