女優の本

osamuharada2012-10-01

フランスと日本の、女優の本を読む。アルレッティ(古本)と岡田茉莉子(新刊)の二冊。ぼくの場合、好きな女優さんというのは、どの映画の、どの役柄かによるので、その女優が出ていれば何でも好きという狂信的ファンではないのであります。偉そうなこと言っちゃうようですが…。
フランスの女優アルレッティ【 Arletty 1898〜1982 】が演じた’43年『天井桟敷の人々』の、なんといってもガランス役が好きで、’38年『北ホテル』のレイモンド役はあんまり好きじゃないな、というようなことね。単に好みのモンダイです。
ミスティックな魅力に満ちたガランスと、はすっぱな情婦レイモンド。同じマルセル・カルネ監督の代表的な映画でありながら、アルレッティは完璧に役を演じ分けているのです。まるで別人、そこは凄い。昔は、こういう女優さんを「性格俳優」と呼んでいました。日本なら山田五十鈴( 四十代までの)でしょうね。
アルレッティが演劇世界から映画入りした時には、すでに四十代だったので、年増の大スター女優というわけです。インタビューを読むと、実際のアルレッティという人は、明るくてちゃきちゃきのパリっ子という感じで、ガランスのようにクールでしかも妖艶なるところは希薄なようです。演技者アルレッティとしての芸談では、役者はまず、第一に「声」が重要だと語っている。確かにガランスの悩ましき声は印象的で、一度聞いたら忘れられない。その声にも惚れてしまう。『北ホテル』でのルイ・ジューヴェとの橋の上での有名なシークエンスは、フランス語の名セリフ(歌舞伎で言うツラネかな)と謳われている。かの《 アトモスフェール、アトモスフェール、… 》
岡田茉莉子という女優さんは、ぼくの好みでは、まずコメディエンヌとしての岡田茉莉子です。獅子文六原作の映画‘60年『バナナ』におけるサキ子役がいい。これってビデオにもならなかったので、若い頃に観ただけの印象。映画は原作を超えられないと思ったが、この岡田茉莉子だけは、獅子文六作の登場人物そのままで、岡田茉莉子のハマリ役だったと記憶しています。サキ子は横浜の青果仲買人(宮口精二)の娘で、突然シャンソン歌手になると思い立つような、現代的で威勢のいいお姉さん。戦後の新しい女性像だったのでしょう。ときに茉莉子二十七歳。
同じ1960年の小津安二郎監督『秋日和』は、コメディエンヌ岡田茉莉子としての面目躍如たる代表作でしょう。思い出してみてください、あの佐分利信のオフィスへ、司葉子への友情心から怒鳴りこみにゆくシークエンスを。それから、実家の寿司屋へオヤジさんたちを連れて来ちゃうチャッカリ娘の演技を。 次いで小津作品の、‘62年『秋刀魚の味』でもコメディエンヌぶりを大いに発揮していますよ。早世した映画俳優の父親・岡田時彦と、小津安二郎は朋友だったようで、いつも岡田茉莉子を「お嬢さん」と呼んでいたという。《 私のために小津さんが書いてくださったのは、笠さんの長男である佐田啓二さんの、その妻の役だった。二枚目でありながら喜劇の才能もあったという、亡き岡田時彦。その娘である私も、喜劇は上手なはずだと思っておられた小津さんは、前回の『秋日和』と同様に、コミック・リリーフの役を、私のために用意されていた。》と述懐しています。
岡田茉莉子の文芸作品で好きな役は、成瀬巳喜男の『浮雲』と『流れる』です。これもまた脇役ですが、悲劇における女の色気というものを、成瀬監督は見事に引き出している。『浮雲』の良さは、こちらが四十過ぎた頃にやっと解るようになったけれど、岡田茉莉子森雅之伊香保温泉でのシークエンスは、実に素晴らしい。ほんとの色気というものは、文学的な暗さをともなわないと現れないものかもしれませんね。よく考えたらアルレッティのガランスもそうでした。奥ゆかしくも押さえきれない色気というものは、「陰影礼賛」の、あの美意識に近いですね。
この自伝『女優 岡田茉莉子』には、Filmography が付いてない欠点あり。担当編集者の怠慢。オマケの映画評論家 蓮實重彦の談話のほうは、感傷的ですっごくつまらない。