東京の歌謡曲

osamuharada2012-08-13

島での夏休み。YouTubeをパソコンの音声出力から、プリメインアンプにつないで、大きなスピーカーで鳴らして聴いています。検索すると、’60 ’70年代の歌謡曲が簡単に見つかり、すぐに聴けるのが嬉しい。ちょっとハマったのは、「東京」という言葉をタイトルに冠した歌謡曲。聴いているとその曲が流行った頃を、懐かしくリアルに思い出す。
個人的な東京の懐メロノートができました。タイムラインで並べてみると、まずはじめ、中学生の頃の’61年【 東京ドドンパ娘 】が好きだった。ドドンパは日本製のラテン風音楽で、都々逸(どどいつ)とルンバを合体させたというシロモノだった。当時は、来日したペレス・プラードのマンボ(ルンバとジャズの合成)が、日本でも大流行していたからでしょうね。江戸の都々逸のほうも、美空ひばり江利チエミ越路吹雪までが歌って流行っていた時代。 《 ドドンパ ドドンパ ドドンパが あたしの胸に 消すに消せない 火をつけた 》 ちょっと七五調にもなっている。 この頃からが、敗戦後の復興とともに、前向きで希望に満ちた「東京」の始まりだったような気がするな。
高校生の頃になると、国をあげて「東京オリンピック」の馬鹿げた大騒ぎがあり、「東京」をお題目にした歌謡曲がいっせいに出現した。 なかでも三波春夫ファンとしては‘63【 東京五輪音頭 】がものすごく気にいったのだが、同世代の友達やガールフレンドからバカにされるので誰にも言わなかった。演歌はすでに若者(団塊世代)から忌み嫌われていた。ぼくは「東京」のオリンピックだからこそ、日本人の誰でも踊れちゃうこの一曲が、最もふさわしいはずだと確信したのですが…。《 オリンピックの晴れ姿 それットトント トトント晴れ姿 》
西田佐知子の’64【 東京ブルース 】は、当時のイケイケ時代にしてはちょっと暗すぎたのかもしれない。いまの時代に聴くとしみじみ名曲だなァと思う。《 赤いルビーの 指輪に秘めた あの日の夢もガラス玉 割れて砕けた東京ブルース 》 後年の、ちあきなおみのカバーもいいですね。
しかしあの頃が十代としての「東京」といえば、まずはザ・ピーナッツ’64【 ウナ・セラ・ディ東京 】が気分でした。ピーナッツといえば宮川泰・作曲で、それに作詞があの岩谷時子という最高の組み合わせ。《 街はいつでも 後ろ姿の 幸せばかり ウナ・セラ・ディ東京 … 》 これはすでに、たそがれ(ウナ・セラ・ディ)はじめた「東京」でした。歌のほうが時代の先取りをしているのがよく解る。
大学時代には、すっかり歌謡曲から離れちゃったけれど、‘70年代初め、イラスト稼業についた頃からは、同業のPATERと一緒に、演歌と歌謡曲を浴びるように聴きはじめた。新しい歌謡曲では、初期の郷ひろみを筆頭に、筒美京平の作曲・編曲モノが好きだった。そしてちょっと間を置いて、「東京」を冠した筒美・松本隆コンビの’78年【 東京ららばい 】という名曲が登場した。前奏・間奏を聴いただけでもゾクゾクする筒美節が炸裂。アイドル歌手よりは年長さんの中原理恵が、大人っぽく歌う。《 東京ララバイ 夢がない 明日がない 人生は戻れない 東京ララバイ あなたもついてない だからお互い ないものねだりの子守唄 》 これってむしろ今の「東京」にこそピッタリな気がしてきた。
クール・ファイブの’76年【 東京砂漠 】となると、もっとキツーい感じがする。《 空がないてる すすけ汚されて 人はやさしさを どこに すててきたの 》 昨今では放射能汚染を連想しちゃうけど、つらい言葉も名曲と優れた歌手で聴けば、どこか昇華されたような気がしてくるから不思議だな。《 あなたがいれば 陽はまたのぼる この東京砂漠 》 これからは、しかたがないからサバイバルで生きてゆこうぜ!という気持ちにもなってくる。