本の虫干し

osamuharada2012-08-05

留守中、本や画仙紙などしまっておいた押し入れに紙魚(しみ)が出たらしく、若いころに年長の方々からいただいた書簡類がほとんど喰われていた。ひどくガッカリしています。和紙や糊を使っているものが紙魚という虫の好物らしい。しかし和綴じの本はすべて無事だった。布張りの帙(ちつ・本を包むおおい)は、ちょっと齧られていた。それでも気をとりなおして、久しぶりに本の虫干し大会などやっているところです。今日はアトリエが古本市のようになっている。
三十年ほど前に京都の【芸艸堂】で買った『芥子園画伝』(かいしえんがでん)も無事だった。虫干しついでに絵を眺め、漢文を(字面だけですが)読んでいたら、絵描きにとって、こんなに面白い本はちょっとないだろうな、とあらためて思った。中国の宋・明・清代にわたる絵画芸術論と絵手本を集大成した本で、日本には江戸時代中頃に輸入され、多大の影響を与えた。
むかしは、大家の絵画を手本にして模写するのが、フツーの絵の勉強法でした。お手本の普及版である『芥子園画伝』初集に、宋の劉道醇が書いた「六要」のところの最後の六番目に《 師学捨短 》とある。好きな先生の画法を臨模しているうちに、そのエピゴーネンと化してしまうことへの戒めなのでしょうか。いくら絵がうまくなっても、パクリじゃまずいな。絵画はお手本どおりじゃなく、オリジナルで描かなくっちゃね。(イラストはこの点どうでもいいらしい)
絵画がパクリで終わらないためにはどうすればよいのか。そもそも絵画とはどうあるべきか。『芥子園画伝』の芸術論「六要」の一番目には《 気運兼力 》とある。そして同じく南斉の画家・謝赫の「六法」の言葉に有名な《 気運生動 》がある。中国絵画の妙諦(みょうてい・すぐれた真理のこと)は、どうやら「気」の運びにあるらしい。生き生きと表現するには、論理や感情にとらわれず、まず「気」の充足が肝要だと伝授している。描かれた絵にも、描いた画家にも「気」の顕現が求められている。現代的に解釈すれば、絵を脳の前頭葉前野で描くとでもいうことになるのかな。西洋絵画や、左脳の頭でっかちな現代美術ゲイジュツ論との違いは明白だ。この東洋思想を最後に受けとめた画家が、日本が生んだ天才・富岡鉄斎だとぼくは思うのです。写真は、鉄斎が名付け親の【芸艸堂】(うんそうどう)出版の、木版復刻版『芥子園画伝』。見開き部分は「石法」中の米點による骨法。米粒のような点描画で描く場合のコツのことね。苔むして、雲のように、たおやかな形態の石を描く方法と、その描法の由来が書いてある。