ベン・シャーンの挿絵

osamuharada2012-07-11

いまも若いイラストレーターたちから支持されている、アメリカのユダヤ人画家・ベン・シャーン(1898〜1969)。とげとげしい線描は、そのスタイルだけがいまだに流行っている。かつては、POP ARTのアンディ・ウォーホルだって、イラストレーター時代にはその線描法をパクっていた。本来ベン・シャーンのこの線描は、ホロコーストや社会問題を強く印象づけるために生まれたものなのです。元をただせばユダヤ強制収容所における有刺鉄線のイメージが込められている。写真家のキャパやブレッソンのMAGNUMと同様、ベン・シャーンもまた社会派のイラストレーターなのでした。
そのベン・シャーンが、1957、58年にかけて、ニューヨークのHARPER’S MAGAZINEに連載していた挿絵は、日本の【第五福竜丸】のルポでした。アメリカのビキニ環礁の核実験で被曝した、日本のマグロ漁船がテーマです。そのイラストを再編集して、2006年に絵本として発表されたのが、『ここが家だ ベン・シャーン第五福竜丸』(集英社刊)。被曝と放射能汚染の問題が、再び避けて通れなくなった現在、この絵本の重要性も増してきたと思います。装幀・デザインは、ベン・シャーンの絵が大好きな和田誠さん。
ぼくは子供の頃、築地に住んでいました。第五福竜丸が積んできた2トンのマグロが築地魚河岸に入荷した。検査により放射能汚染が発覚したため、市場の地中に埋められたときの報道写真を見て、子供ながら何だか恐ろしいことがどこかで起きたのだと実感しました。広島・長崎から第五福竜丸へと再び核の犠牲になったことから、日本中で反核運動の火が燃えあがりました。築地魚市場では放射能汚染への恐怖から、魚介類がまったく売れない事態になったそうです。築地のうちの近所には、第五福竜丸の原爆マグロ(通称)の石碑もできました(現在この石どこかへ消えている)。
日本の反核運動アメリカに向けられたため、困ったアメリカは大衆の鎮圧が目的で、逆に日本人への、核の平和利用を宣伝しはじめたのでしたね。NUCLEAR=「核」という日本語では核アレルギーの日本人に悪印象だから、NUCLEAR=「原子力」と、なんかカッコいい日本語を新しく作ったわけです。そして言葉によるマインドコントロールが始まった。「鉄腕アトム」や妹の「ウラン」ちゃんだって、〈原子力〉ロボットじゃないですか。
その後、アメリカは〈原子力政策〉などと称して、中曽根康弘など日本の政治屋を使い、読売新聞社主の正力松太郎(実はCIAだった)に民放テレビの利権を与え、マスコミの影響力で、夢の〈原子力発電〉として〈核〉の悪いイメージを払拭させることに大成功。つまり【安全神話】の洗脳が完遂したわけね。それからあの〈原子力村〉ができた。東芝、日立、三菱重工鹿島建設(中曽根と姻戚関係)などなど、ありとあらゆる企業が、NUCLEARの利権とカネに群がった。できた原発が57基。それに腐敗した官僚と大学の御用学者たち。これらが日本のエスタブリッシュメント(笑えるけど)として、いまだに国民の上に君臨している。しかしね、いくらなんでも3.11以後は、化けの皮がはがれてきたとは思いませんか? 知らないうちにトンデモない国になっていたことが、いいかげん皆にバレてきたでしょう…。なんてことを社会派・ベン・シャーンのイラストを眺めながら、一言つぶやいてみました。NO MORE NUCLEAR !

ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸

ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸