祭りと神輿

osamuharada2012-06-10

昨日は、あいにくの雨降るなかで、地元築地の祭りがあった。魚河岸入り口近くの「波除神社」。今年は三年に一度の本祭り。四、五日前から、町の通りに祭り囃子がながれ、祭り提灯が軒先にかかげられていた。いつしか、ふるさとの祭りから遠のいてはいても、この提灯のさがるのを見て、お囃子の音色を聴きけば、誰だって子供の頃のワクワクした気分を思い起こすと思うな。下町育ちはジっとしちゃいられなくなる。
昔は、家族総出で祭りに大興奮した。うちも「波除(なみよけ)さん」とこの氏子連中。親類縁者もやって来れば、近所の友達も集まる。築地の祭りなので、歌舞伎役者や新橋芸者のきれいどころも来た。敗戦後の、まだ復興ままならぬ貧しい時代に、町が渾然一体となって祭りを楽しんでいた。ひとしお、あの一時期がいとおしく懐かしい。藍染めの有松絞り、揃いの浴衣で神輿(みこし)を先導して練り歩いていたのは、ぼくの爺さん。オヤジは神輿をかつぎ、オフクロは嬉しくって神輿の後を追って歩いた。ぼくは子供神輿を従兄弟たちとかつがされたけれど、どうもノリがわるいのか途中で自ら脱落し、家から画帳を持ってきてスケッチをはじめた。その素描をもとに、後で油絵の大作「祭りの図」をものした、という昔から変な子だった。
雨の中を神輿が通り過ぎると、下町特有の、情緒纏綿とした風情がよみがえってきた。以前、どうしてオミコシを見ると血が騒ぐのだろうかと思って、神輿の由来を調べたことがある。人に聞いても確たる答えは何も得られなかったが、古代ユダヤ研究者の本には、日本の神輿の様式は、旧約聖書のなかに書かれた「アーク」にそっくりだとある。モーセユダヤの民を率いてエジプトから脱出したという、かのExodusに由来する。シナイ山モーセが授かった、十戒の石板を納めた「アーク」(契約の箱)。古代ユダヤの人々は、奴隷解放された喜びを忘れないよう、年に一度このアークをかついで感謝の祭礼を行うようになった。それと神輿が同根のものだと言えば、荒唐無稽のそしりを受けるかもしれないけれど、よく旧約聖書を読めばあながちデタラメではないと気づくはず。黄金の箱の上には、金の羽のある天使を飾ること。これは日本で金の鳳凰におきかえられている。アークの箱をかつぐための二本の長い棒は、箱の下のカンに通せとある。つまり棒を固定してはいけない、ただ通すだけ。それなのに、祭りが済んで、どこかにアークを安置するさいも、決してこの二本のかつぐ棒は抜かずに、差したままにしておけ、と聖書に書いてある。不思議なことに、日本のどこの神社の神輿も、倉庫にしまう時、共通してこの二本の棒を棒穴から抜かないままにしておく。抜けばもっと少スペースで倉庫に片付けられるはずなのに、それだけはやらない。その理由を聞いても誰も答えられない。などなど、他にも謎の共通項がたくさんあるので興味はつきなくなるのです。さらに日本の神社の設置方法も、古代ユダヤ神殿のつくりかたとまったく同じなので、この建築ミステリーにも挑戦してみてはいかがでしょう。特にあの伊勢神宮ね。日本人のルーツと、アイデンティティにまでゆき着く大問題が待っています。きっとハマることうけあい〼。