新緑の季節、世俗を離れ、友と「清談」をなす。といきたいところだけれど、会う友人たちとの談話は、老後生活や、経済情勢、あるいは健康、またはスポーツなど、個人的な瑣末事の話題ばかりだ。歴史や哲学、芸術の話などはとんと出てこない。東京にいれば、まれに芸術論をブツ若いひとにも会うけれど、ほとんどが現代美術かサブカルアートどまりで、面白くもなんともなかった。
[清談]というものは、邪馬台国の記載がある「魏志倭人伝」の書かれた頃の3世紀、中国で流行した。 老荘思想のもと、脱俗的な学問や芸術に関する談話のことでした。伝説上の「竹林の七賢」で有名ですね。 ずっと時代がくだって、17世紀の明末清初の頃に「文人画」というジャンルが確立したのは、中国が乱世の時代だったからだろうが、これも前向きに考えれば、アウトサイダーによるルネサンスといえるでしょう。そしてこの頃の文人墨客の間で、[清談]もまた静かに復活していたのです。
しかし現代中国はずいぶんと遠いところへ来てしまったから、[清談]は老荘思想とともにすっかり廃れてしまったことだろうと思う。 日本の「文人画」のほうは、幕末維新にかけての混乱期に流行したが、欧米の植民地になりはてた明治新国家の、芸術論からは排斥されてしまった。そして結局ただひとり、天才・富岡鉄斎が「文人画」の芸術境を後世に残してくれた。新茶を啜りつつ浄机を前にして鉄斎の画賛にむかへば、おのずと鉄斎の[清談]を聴くことになる。 おちこちのメジロの声も聞こえてくる。