京都慕情

osamuharada2012-03-30

今週は京都に行ってきました。三十年間続いた京都のイラストスクールが閉校になったので、最後の授業とお別れ会。あれから二次会は朝の五時まで。 その昔よく京都の生徒たちと明け方まで飲んでいた頃がつくづく懐かしい。何しろヤツガレが三十代半ばで、仲良しの朋輩たちと始めたイラスト教室だったから、こっちもまだ若く元気があり余っていたわけだな。京都ふるきよき思ひ出よ。 さて今年の京都はいつまでも寒くて、桜の遅いのがちょいと残念。といっても有終の美を飾るほどのことでもないから、まあいいかな。
次の日の昼下がり、イノダコーヒ三条店を出たあとで、錦小路に向かってブラブラ歩いていたら、久しぶりにまた富岡鉄斎の書画を見たくなったので、六角通の「宮脇売扇庵」へ寄り道をした。しかし一階の入り口にいつも掲げてあった鉄斎の七福神の画賛が、書の扁額に替わっていた。その鉄斎の書も素晴らしいが、あのユーモラスな七福神が宮脇売扇庵を祝福しに列をなして歩いて来る図がどうしても見たい。店内に引っ越したのかなと思い中に入ってみると、左側にあった部屋が無くなり、そのかわり二階が広々とした店内に改装されていた。階段を上がって、取っ付きの部屋は店の古いコレクションの展示室で、その奥に「咲門」(咲は笑の古字)と賛のある七福神図の素晴らしい扁額があった。(写真がその部屋) これは何度見ても飽きることがない、ぼくの大好きな絵なのです。七福神の後をついて歩く鹿までが活き活きとして愛くるしい。
ガラスケースには、芸艸堂(うんそうどう)の手摺木版で、鉄斎の扇面の画帖が置いてあった。表紙だけではなく、ぜひとも中身のほうまで見せて欲しいです。 結局、京都へ何度も(二百回以上かな)通ううちに、ぼくが最も敬愛したのは、富岡鉄斎の人と芸術だったということになる。そういえば「宮脇売扇庵」も「芸艸堂」も、その店名は、まさに富岡鉄斎その人の命名なのでありました。  宮脇売扇庵→http://www.baisenan.co.jp/  芸艸堂→http://www.unsodo.net/index.php