TSUNAMI

osamuharada2012-03-09

去年の 3.11の津波は、ハワイ島西側のコナの沿岸部にも到達して被害を出した。くだんのコナ・コーヒーをつくるクニタケさんは、その日たまたまコーヒー農園の眼下に広がるコナの町を見渡していたとき、茶色く濁った海水が岸に向かって迫りくるのを目撃し驚愕したという。クニタケさんは、あの日以来いまに至るまで、鳩が異常に多く飛んできているのは不思議なことだと話していた。
2年前の2月、ホノルルにぼくがいた日は、南米チリ地震の影響で、津波がハワイ全島にも到達するという警戒警報が流れた。響きわたる警報ベルの大音量には度肝を抜かれた。TVではしつこいくらいに特番ライブでニュースが報じられ、交通網や道路の封鎖状況なども刻々と報道された。会社も学校も店舗もすべて閉鎖した。幸いことなきを得てホッとしたが、警戒の徹底ぶりには感心した。1960年のチリ地震マグニチュード9.5)で、ハワイにも津波の大きな被害があった経験からだろう。この時の津波は日本にも到達し犠牲者を出している。
ワイ島東側のヒロは、1947年の津波アリューシャン地震)で沿岸部のShinmachiと鉄道を完全に失った。現在は広大な芝生の公園になっており建築物は一切無い。その後も十数年おきくらいの間隔で津波が来ている。ハワイ諸島は太平洋プレートのど真ん中に位置しているので、四方八方からの汎太平洋岸地震の影響による津波がやってくる。現在も島民は常に津波情報に気をつけていて、万全の警戒を怠らない。ハワイで日系人が最も多く住むヒロの町中には、PACIFIC TSUNAMI MUSEUMがある。町の有志がボランティアで運営し、特に子供達に津波の恐ろしさや避難方法について教えている。写真は、3.11 東日本の津波についてのメモリアルコーナー。あらためて被害の甚大さに胸が詰まった。入り口には、ハワイからのメッセージのポスターが掲げられ、日本列島が描かれたその上に大きく【 JAPAN WE ARE WITH YOU 】と書かれていた。