パリの秘密結社

osamuharada2011-10-04

日本ではむかし「大東社」と呼んでいた、フランス最大のフリーメーソン【 GRAND ORIENT DE FRANCE 】 。パリの下町、9区のCadet通りに本部がある。一階は「フリーメーソン博物館」で、堂々と一般公開をしている。ここは実に面白い。展示を見ていると、フランス革命(1789〜1799年)では、実際にはこの大東社・グラントリアンが暗躍していたことがよくわかる。ナポレオンもジャコバン党もメーソンだった。
江戸時代の末期に、徳川幕府が西洋式の陸軍をつくるときに招来したのが、このフランスのメーソンたちだった。彼らは軍隊だけでなく、函館の五稜郭(ヨーロッパ式城郭)も建設した。新撰組土方歳三が最後まで官軍と戦って戦死(明治2年)したあの城ですね。明治新政府のほうを手伝っていたのは、英国のメーソン「ロンドン・グランドロッジ」だったので、大東社と日本の縁は切れたようです。またヨーロッパでは、ちょうど大東社とロンドン・グランドロッジが決別した頃でもあるそうです。オカルトや陰謀論などと笑いモノにしないで、マジメに調べてみると真実の歴史がたち現れてきますよ。アメリカ建国、ドイツ帝国の成立、ロシア革命、教科書にはわざと載せない歴史の謎解きは小説などよりずっと面白い。
余談ですが、古来より江戸時代までの日本人は、歩いたり走ったりする時に、腕を交互に振ってはいなかった。江戸幕府のフランス式陸軍の教練で、初めてオイッチニ・サンシと手を振って歩くのを、日本人は学んだそうなのです。明治以降は小学校からしっかり教えこまれた。われら現代日本人の歩き方は、フランスのメーソン軍人から教わっていたことになる。時代劇などでサムライが手を振って歩くのは、時代考証としては間違いなのですよ。歌舞伎ではやらないもんね。サムライなら両手を腰のあたりに置いて走るとか、たもとに両腕を入れて歩いていたのね。むやみに手は振らない。ちなみに片手だけをたもとに入れ、ちょっと肩を突き上げて歩くのを「ヤゾウ(弥蔵)」といっていた。職人やヤクザのスタイル。三遊亭円生の『首提灯』を見れば、かっこいいヤゾウの歩き方がわかる。
話がそれちゃったけれど、このパリの大東社の真ん前に、小さいけれど高級な本屋がある。中に入ると、メーソンの儀式で使用する、豪華な刺繍のエプロンや、剣、オベリスクの置物、その他ワケのわからんグッズを売っている。本もすべてメーソン関係ばかり。ショーケースに飾ってあった本は、モーツアルトのオペラ『魔笛』が、メーソンのRITUAL(秘儀)にのっとって書かれたものだという研究書だった。一説には、メーソン正式会員だったモーツアルトは、秘密の儀式内容を『魔笛』で公開してしまったために暗殺されたともいわれている。現在でも世界最大の秘密結社フリーメーソンの儀式は完全に秘められている。映画のように、サリエリモーツアルトの才能に嫉妬して毒殺したというのよりはまともな暗殺説だよね。
ところで、この本屋の看板を見ると驚きますよ。【 La Librairie de ▲ 】となっている。最後が文字ではなく三角形のピラミッド。知ってる人ならすぐわかっちゃうシンボルマーク。表のウィンドウには、やはりメーソンだった「進化論ダーウィン」の一書あり。調子に乗って、本屋の中で書棚の写真を撮っていたら、いままで静かにしていた店主がそばに来て、それはいかんなあ、と首を振った。柔和そうなオジサンだったが、眼光だけが鋭いのはさすがだなと思った。やっぱりメーソンはなんだか怖いよね。