3.11以後

osamuharada2011-09-10

パリの人文系書店のウィンドウに、新刊の原発本が飾られていた。福島とチェルノブイリを、すでに同じカタストロフィー(破滅)として論じ、次なる危険地点を考察している。胸を突かれる思いに、足が止まった。あの日からまだ半年が過ぎたばかりだというのに。
天災の復興もままならぬまま、福島の人災は収まらず、放射能汚染は拡散し続けている。空気や水、食料にまで及ぶ被害。しかし、3.11以後の日本が大きく変化したのを知りながらも、従前どおりの社会生活に復帰をしたい願望で、政府が流す「新・安全神話」に心のよりどころを求める人たちがいる。怒ることよりも諦めることを選んだのだろうか。あるいは、経済(お金)が回らなければ生きる価値なし、と結局は現体制に隷属する事大主義の大人たちもいる。いずれにしても目に見えぬ恐怖が今の子供たちに具現化するのは、チェルノブイリの如く五年十年先の話だ、と責任を取るつもりのない現政府を容認している。日本国内と外国とでは、福島をめぐって乖離があるようだ。
世界一の発行部数を誇る「読売新聞」が三日前、ついにその「社説」で本音をはいた。これはチェルノブイリと同列には語れない日本のゲンパツ事情といえる。その末尾にいわく《 日本は原子力の平和利用を通じて核拡散防止条約(NPT)体制の強化に努め、核兵器の材料になり得るプルトニウムの利用が認められている。こうした現状が、外交的には、潜在的な核抑止力として機能していることも事実だ。》全文はコチラ
日本はいつの間にか、対外的には核保有国として、立派な軍事大国になっていた。好戦的な東京都知事までが、徴兵制を叫ぶのもムリはない。時代の趨勢は、平和憲法を変えて、戦地へと若者たちを送りこむつもりなのだ。お前たちの他に誰が日本を守るのか!と洗脳をして。しかしその真意は、軍需景気で経済復活を期待する、軍産複合体の野望なのではないだろうか。経済大国の夢よもう一度。富国強兵、(カネのためなら)撃ちてし止まむ。東京へ帰るのが、なんだか不快な気分になってきた。