オベリスクの秘密

osamuharada2011-08-28

一昨日、アメリカの首都ワシントンDCで大きな地震があり、その時にあの「オベリスク」(ワシントン記念塔)にひび割れがあったというニュース。石を積み重ねた造りでは、世界で一番高い塔。1884年(明治17年)に完成している。やはり、地震なんて絶対に起こらないはずだから想定外とでも言いわけするのかな。先端のピラミッドのところからいく筋かの亀裂が入ってしまったとは、なんだか不吉だね。それにしても、何であんなカタチの塔があるのか不思議には思いませんか。
オベリスク」といえば、むかし調べたことを思い出した。パリの「凱旋門」は、ナポレオン皇帝が戦勝記念に建てはじめ、完成前に死んじゃったというドジな門ですが、そこから「コンコルド広場」までを、おなじみの「シャンゼリゼ大通り」と呼んでいる。そのコンコルド広場の真ん中に立ててあるのが「オベリスク」。
フランス革命で、ルイ16世やマリー・アントワネットの首が落とされた跡のコンコルド広場に、英国の植民地エジプトから盗んできた「オベリスク」を立てたのは何故だろうか。なんだか怪しい感じがするでしょ。梅原猛新興宗教がスポンサー)なら《怨霊鎮魂》のためとかすぐにいいそうだよね。
実は、一年に一度、「夏至」の日に、このオベリスク地点から見ていると、夏至の太陽が「凱旋門」の真ん中に沈み込む。太陽がこの日、真西から23.4度くらい北に傾いて沈むわけ。つまりそういう角度で、「シャンゼリゼ大通り」がつくられているのですよ。上はジュドポーム美術館の帰りに撮っておいた写真。オベリスクの左下に凱旋門が遠く小さく写っていますが、あそこまでが、シャンゼリゼ大通り。この写真の背後には、ルーブル博物館の入り口があり、現在ガラスのピラミッドになっていますね。
一九世紀半ば、甥っ子のほうのナポレオン三世と、その子分オスマン県知事が共謀して、パリの大改造を行った。ローマ帝国を真似て、オジサンも甥も「ナポレオン皇帝」と称したくらいだから、大の古代ローマ好きだ。なのにエジプトの「オベリスク」を置くとはコレいかに?ですが、これまた実は、夏至の日の太陽だけを崇拝していたわけじゃなく、この日に太陽と同じ位置から出て沈む、「恒星シリウス」のほうを主に崇拝しているのね。つまり古代のエジプトの女神「イシス」信仰をとりいれている。エジプト起源のイシス信仰は、古代ローマで大流行していたのですね(日本は邪馬台国卑弥呼の時代ね)。それでわざわざエジプトの「オベリスク」があそこに出てくるわけよ。すっかりローマ帝国にかぶれちゃってるよね。それがパリ大改造の理由だったとはね。
ところで、ワシントンDCも全く同じことで、こっちは東の「国会議事堂」から見て、西側の大統領官邸「ホワイトハウス」の屋根に、夏至の日の太陽とシリウスが沈みこむ。そして一昨日ひび割れた「オベリスク」のほうは。三角定規でいうと直角に当たる位置に建っています。パリと同じく、ワシントンも古代ローマ帝国をモノ真似した古典主義建築群でいっぱいだ。南寄りの冬至線上には、ギリシャ神殿のようなリンカーン記念堂まである。ちなみにこの夏至線三角形の内側は「フェデラル・トライアングル地帯」と呼んで、官庁街になっている。計画したのはジョージ・ワシントン初代大統領。自分ちの荘園に首都をつくらせたから、それで地名もワシントン。都市設計にあたったのは、フランスの建築家ピエール・シャルル・ランファン。 ここもパリと同じように、古代エジプトのイシス信仰がモチベーションで、区画整理されていたのがよくわかる。
オベリスク」は、ニューヨークやロンドンにもあり、世界中の大都市にいくらでも見つけることができる。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにだって巨大なのがある。欧米の墓地には、墓石としてもよくあるし、インテリア・グッズとして小さいのが室内に飾ってあったり、置物としてもよく見る。一体どういうことなのか? これ以上いうと、トンデモ陰謀論者とバカにされるだけだから、もう言いませんが、オベリスクってのは何だか変テコリンなものだとは思いませんか?
ついでながら閑人のヤツガレが独自に発見した「夏至線」のほうの話題をひとつ。古来より日本の神社などには夏至線が多々あるけれど、それにしてもおかしいのが、東京駅の中央口から皇居に向かって真っすぐの大通り。千代田区の地図を調べればすぐわかるけれど、この道路の角度が夏至線になっているのですよ。東京駅全体が、23,4度西から北へ傾いている。大正時代に駅が建てられた頃は、この広い道路は【凱旋通り】と名付けられていて、第一次世界大戦に日本が勝ったという意味の「凱旋」だったのでしょう。この大通りはお堀にすぐぶつかって、橋の手前でおしまいになる、何故か太くて短い大通りなのです。しかしこの通りの角度である夏至線を、ズーっとたどってゆけば「皇居」と「吹上御所」の中間を通り抜け、まっつぐ堀の向こうの「英国大使館」にドーンと突き当たる寸法。やっぱり、「ほんとは植民地日本」の近代史は、そうとう怪しいところがあるな。