1900年パリ万博

osamuharada2011-07-25

1900年のパリ万国博覧会の地図(複製)が手元にあります。観光用につくられた万博開場の案内地図。エッフェル塔のある大きな広場には、ヨーロッパ列強の大国が、それぞれの巨大なパビリオンを設置していて圧倒的です。アンヴァリッドの前庭にも世界各国の産業展示館が整然と並び、セーヌ川両岸にもさまざまな建造物や催事場がズラリと居並ぶ。世界のあらゆる物産を一堂に会して、近代工業や貿易振興のために開催された万国博覧会。新世紀の幕開けを告げるかのように大々的に繰り広げられたパリ万博。
文献で調べてみると、見学者のために、会場の各所に通じる便利な「動く歩道」までつくられていたとある(youTubeには映像が出ていますよ)。映画の父といわれるリュミエール兄弟は、360度の円形スクリーンを試作した。ロンドンにいた夏目漱石も見学に来たらしい。つまり「近代文明」がいよいよ開幕するという年なのですね。では、この111年前のパリ万博において「近代芸術」のほうは、どうとり扱われていたのかが、ぼくには最も気になるところです。
現在も巨大なガラス張りの建物が残っている、右岸のグラン・パレ。パリ万博では、ここで国際的な美術展が開催されていた。絵画部門で、あのオーストリアクリムトが金賞。そしてなんと銀賞を洋画家の黒田清輝がとっている。色っぽい女性ヌード立像三体を描いて、堂々の銀メダルというわけ。黒田は、岡倉天心(当時は東京美術学校・校長として君臨していた)を追っ払って、その後釜として芸大を支配した。明治政府のいわゆる「薩長」の系列出身で、薩摩の黒田清輝貴族院議員にもなった画家なのだ。権威好きなんだね。しかし芸術の世界を考えると、世界中がクリムトは知っているけれど、今も昔も黒田なんて絵描きは知られてないだろう。大阪万博岡本太郎なみに、島国日本だけで有名だが、世界じゃ誰も知らない。
1900年は、日本の明治33年。伊藤博文が4度目の総理大臣の御代。いずれにしても明治の大日本帝国は世界に冠たる先進国家だ、とばっかり思っていたのだが、どうもこのパリ万博地図をよく見ると、なんだか様子が変なのですよ。(続く[id:osamuharada:20110724])
地図⇨http://osamuharada.tumblr.com/image/108430172586