1900年パリ万博 続き

osamuharada2011-07-24

エッフェル塔の広場から、セーヌ川にかかるイエナ橋を渡ると、向かいの右岸にはトロカデロ広場があります。現在は、そこの上のシャイヨ宮の間から見る眺望が特に有名ですね。よくスケートなんかしているテラスの、向こう岸にエッフェル塔が見えるといったあの景観ね。
ところで1900年のパリ万博地図に戻ると、イベント会場の一つとして、このトロカデロ広場は【 EXPOSITION COLONIALE 】と明記されている(写真は地図の一部分)。
ココは、つまり宗主国である英国やフランスの「植民地」を世界に自慢して、皆様にご紹介をする「植民地展覧会」の会場なのであります。さらに目を凝らして、よくご覧あれ。右下に、なんと【 JAPON 】とあるではないか! そこには法隆寺みたいな怪しいパビリオンが建っている。よりによって「植民地」の展示会場に日本館が入っているとは、何たることであろうか。日本はどこかのコロニーなのか? れっきとした独立国ではなかったのか? ね、これってちょっとショックでしょ。
地図を見ると、日本館のお隣さんは、当時イギリスの植民地だった「インド」と「セイロン」のパビリオン。その他には「エジプト」もまだ大英帝国の占領下にありました。アフリカの、「アルジェリア」「チュニジア」「ギニア」などは、もちろんフランスの植民地だった。1900年には、まだどの国も独立してはいない。なのに「日本」がこれら植民地のお仲間に入っているとは、どういうことなのだ? とフツーの日本人なら思うよね。
この「植民地展覧会」の会場には、当時「清」であった中国のパビリオンも入っているのです。そもそも日本の、明治維新(1868年)とは、中国(清)のような欧米列強の植民地にはならないように、と勤皇の志士たちが、外国にだらしない江戸幕府をやっつけた革命のはずだよね。坂本龍馬だって、そのために奔走していた。
ほんとに教科書が正しければだけど、日本は1900年(明治33年)には、もうとっくに独立国家(自称:大日本帝国)のはずでしょう。しかも、朝鮮半島を支配していた中国を相手に、戦って日本が勝っちゃった「日清戦争」は、1894年のことですよ。さらに1904年になると「日露戦争」で、今度はロシア帝国までやっつけている。こんなに強かった明治の大日本帝国(自称)を、いくらなんでも植民地あつかいはひどいだろう。と、あなたもいまはちょっと思ったはずです。
しかしですよ、もしもあの日清・日露戦争が、日本の国益のためではなく、どこかの宗主国のために代理で戦ったもんだったとするなら、日本は軍事的な植民地国家といえなくはないな。と改めて考えさせられるのです。ちょうど現在の日本政府が、いまでもほんとはアメリカの子分にすぎないのと同じような感じだよね。
さて、1900年のパリ万博地図にあった、当時の「植民地日本」を支配していた宗主国とは、いったいどこなのでしょうか? あなたもこの謎に挑戦してみませんか。手がかりは「日清・日露戦争」にかかる軍備の全軍資金を日本に貸したのは誰だったのか、ですよ。