パリの屋根の下

osamuharada2011-07-17

パリに来て、ようやくネットが無事開通したので、またヒマツブシを書いています。 猛暑と節電の日本にくらべ、今夏のフランスは涼しくて、まるで避暑地にやって来たかのようです。トシヨリにはこれが何といってもありがたい。散歩もはずみ、3.11以後のユウツな気分も歩けば晴れる。明日からは雨で、さらに肌寒くなるほどに気温は下がるらしい。
あれから四ケ月ブリ、無性に音楽を聴きたくなり、ココでは何がいいだろう?と試聴したところ、ごく自然に昔のモダン・ジャズがピッタリきた。それにシナトラのスウィングだって、なんだか今の自分には気分だ。意外とパリにも似合っている。ような気もする。次は美術の古典をジックリと観たくなってきた。紀元前のシュメール美術から、まずはスタートしようかな。といったところです。
日本では、ゲンパツ関連の文言を、勝手にブログやツイッターなどに書くと法規制がかかるようになったらしい。これじゃもうネットなど面白くもなんともない、無用の長物となるにきまってる。
恐怖政治は、かつてのフランスのオハコだったが、権力を勝ち取ったものだけが、弱者に強権を発するのは、どこの国でも、いつの時代でも同じこと。ただし必ず、権力はさらに強い他の権力に負けて、消えてゆく。驕る平家は久しからず。来年は、誰もきづかないうちに、最強の権力が世界を支配しはじめるのかも知れない。
借りている庶民的なアパルトマンの窓から眺めていたら、昔の映画主題歌のシャンソンで『パリの屋根の下』という歌を思い出した。高校生の時にフランスかぶれとなり、まだ見ぬパリ風景画を描いて、その歌詞のリフレインをそえ、最古のガールフレンドにあげたことがある。《 パリの屋根の下に住みて 楽しかりしむかし 燃ゆる想い 愛の言葉 やさしかりし君よ 》という、ハナモチならぬキザな歌詞だったが、くだんのPyonkoさんからは、「ずいぶんと、《かりし》が多いわね。」と一蹴されてしまったことがある、という笑える思い出の歌なのでした。爾来それにコリて、日本のシャンソンだけは、ぼくのフランスかぶれからは外してあります。パリへ行くと言うと、たいがい誰か「おフランスね!」という人がいまだにいる。やはりシャンソン歌詞の悪影響なのでしょう。7月14日の革命記念日を「パリ祭」と日本だけで呼んでいたあのセンスね。ともあれ、ぼくのフランスかぶれも、老いて枯れたものかパリに来てもすぐになじんでしまい、かぶれかりし昔となりました。