そして神戸

osamuharada2011-06-11

先週は、神戸のある美術大学に頼まれてセンセイをやってきました。阪神淡路の大震災以後は初めての神戸なので、ついでに思い出の場所をあちこち散策した。十六年前の震災の跡はもうすっかり消えて、すでに復興を遂げたようだったが、昔の街の面影は微塵もない。どこにでもある新興都市の、きまりきった繁華街が賑わっているだけだ。山の手は、月並みの観光地と化して、大人が歩くにはなんだか恥ずかしい。「復興」というのがコレでいいのだろうか?と現在も一向に進まない東日本の復興のことまで、つい考えさせられた。
昔の神戸、若い頃には何度も好きで旅行した。前にココでもちょっと書きました。→[id:osamuharada:20080307]
トアロードにあった洋食屋の「ハイウェイ」は、三代目が震災後に別の場所へ引越したとHP(多分古い)に書いてあったので、昼飯どきに探してみたがすでになく、別のイタリアンに変わっていた。初代「ハイウェイ」の奥さんは、谷崎潤一郎の『細雪』のモデル(末の妹)になった方だ。この店名は、谷崎と、洋画家・小出楢重が考案したという。こういう神戸らしい店が無くなったのは寂しいな。
若い頃に最も気に入ったのは、やはり山手の坂道トアロードにあった、輸入雑貨屋「アメリカン・ファーマシー」だった。日比谷店に比べて、神戸店はずっと広くて、港町らしいエキゾチックな雰囲気があった。何度も足を運んで、いらないものばかり買い込んだこともある。閉店してからはずいぶん経つが、神戸といえば、ぼくにはこの店だったな。東京日比谷店の思い出のほうはこっち→[id:osamuharada:20080120]
あまりにも記憶に残る店がなくなっているので、今も震災前と同じ場所、中山手通「にしむら珈琲店」本店に行った。ローストが効いた、この店のブレンド・コーヒーは、相変わらず旨かった。老舗らしく親しみのあるコーヒーだ。店で使っているマグカップとガラスのコップが、四十年くらい前から一度も変わらないデザインだったので、神戸の古き良き思い出にと買って帰った。(上の写真です)
神戸で、ぼくが講義を頼まれた美大の生徒たちは、先の震災に四、五歳で遭遇したせいなのか、気の毒だが成人しても若者としての覇気というものが感じられない。いままでにセンセイをした限りにおいて、これほど無気力な教室はかつてなかった。会話をしてみると、どこか虚ろで、無表情な様子が、だんだん痛々しくも感じられてきた。講義中にグッタリと眠る生徒がいたが、可哀相でそのまま寝かしておいた。大学は、郊外の広々とした明るいキャンパスなのに、生徒たちは過去の幼少時に受けたトラウマからいまだに解放されていないのだろうかと心配になってきた。そして、現在の東日本、天災と人災の被害者である子供たちの、これからを考えると不安になる。
神戸の講義が終わった後で、芦屋へ向かった。ぼくの最古のガールフレンド(当ブログでおなじみの)Pyonkoさんに、ある人気の日本料理屋でごちそうになった。美味いだけではなく、ここにはまだ『細雪』の気分が残っているような気がした。Pyonkoさんは、臙脂色の愛車Jaguarを駆って颯爽と家路についた。