龍馬を殺ったのは誰だ?

osamuharada2010-11-28

やっぱりね。ありふれた俗説の暗殺者ということで落ちついた、NHK『龍馬伝』最終回。もし実行犯がほんとに「京都見廻組」ならば、彼らは今でいう公安警察なので、指名手配になっている龍馬を殺害しても、【暗殺】として隠す必要はないでしょ、そこが変だよ。それに慶喜大政奉還したからって、すぐに幕藩体制が崩壊するわけじゃないから、公安警察は当時まだ機能している。むしろ正しく職務遂行したわけだから、立派な「お手柄」になるはず。すぐに名乗りをあげて自慢したっていいのにね。 前の年に龍馬は、お龍さんがいた寺田屋で、伏見奉行所の捕り方(警官)をピストルで殺して逃亡中の凶悪犯なのですよ。おたずね者のWanted dead or aliveだよね。 ずっと後の明治になっての、手柄話(それもコロコロ変わる証言)として発表されたこの暗殺説では、どうにも承服できないよな。
龍馬ブーム本や雑誌では、まず❶幕府側の京都見廻組新撰組による暗殺説。その他によくあるのが、❷武力討幕派の薩摩(大久保利通西郷どん)が送った刺客説。これだと龍馬と一緒に中岡慎太郎まで殺す必要が無くなっちゃう。「大政奉還」派の龍馬と違って、中岡は「武力倒幕」派なのだから、同じ倒幕仲間まで消すことはないでしょ。しかも大政奉還は1ヶ月ほど前に終わっているわけだから、いまさらその遺恨で殺したってもう遅すぎるよ。さらに笑える説では、❸龍馬と中岡慎太郎の意見の対立による「同士討ち」説。検証では、龍馬が全身34ヶ所の刀傷、中岡が26ヶ所切られたそうだから、いくらなんでも同士討ちはありえないだろ。江戸時代の殺人を、現代的な感情論で解いちゃダメだよね。
コロンボだって、必ず手はじめに犯人の「動機」を推理する。これ、ミステリーの基本ですよ。感情論ぬきで、客観的に、その時点で龍馬がいなくなると一番得をするのは誰なのか? と考えるべきでしょう。 ヤツガレが推理した暗殺の主犯者には、はっきりとした動機がありますよ。それに、龍馬とは前から面識がある(2ヶ月前にも会っている)ので警戒心を持たせない人物。近江屋二階では対座していて、得意とする居合抜きで切りつけた。これなら検証どおり、第一刀目で龍馬の額を左右に切ることが可能だ。惨忍な刀傷の数々は、龍馬の協賛者たちへの警告と考えられる。 もっと自説を話したいところだけれど、禁忌に触れる暗殺説なので、ネットなどでは、残念ながら公言しかねます。もったいぶるワケじゃないでのす。
でもこれから謎解きをしようとする方のために、推理の糸口をひとつだけ。 龍馬は、暗殺される慶応3年11月15日の前日、14日の夜に近江屋を抜け出して、幕府の若年寄格の永井尚志(なおむね)に会いに行っている。そこで「何を」密談していたのか?、が最大のポイントだと思います。真犯人の動機は、その龍馬の計画が実行されたらまずいということ。犯人側の別の計画案は、やがて成就して、150年後の今日にまで至っているのです。残念ながら。
【龍馬暗殺ミステリーの謎解き散歩コース】 龍馬が暗殺された《近江屋》は、河原町通蛸薬師下ル西側(現在コンビニ)。《永井尚志》の邸宅は、日暮通下立売下ルで二条城の北側。そこからさらに北へ500m、中立売通智恵光院下ルに《京都見廻組》の組屋敷があった。 ドラマや小説では、龍馬がたった一人で大政奉還を建白したことになってるけれど、ほんとの立案者である《横井小楠》は、龍馬暗殺から約一年後に、明治新政府のある御所から寺町御門を出て、丸太町通の角で暗殺されている。討ち取られた首は、富小路川辺に投げ捨てられた。 近江屋から歩いても、そんなに遠くはない距離なので散歩におすすめ。
[龍馬の耳]→[id:osamuharada:20100116]