文化と勲章

osamuharada2010-11-03

十一月三日、「文化の日」。文化的トシヨリが【文化勲章】を、ありがたくも御上より押しいただく日。
昔から思っていたんだけれど、【文化】というものと【勲章】って、全く別の世界観のものじゃないかな? 何だか無理矢理こじつけていないかな。戦前の大政翼賛会の名残のような感じもするけどね。ニュースを見ててそんなことを考えながら、今日も晴天だったので昼風呂につかりつつ、北園克衛が故郷の「ラジオ三重」のために書いた放送原稿を読む。偶然、「文化」についてのこんなことが書いてあった。
東京大空襲から八年後、廃墟と化していた銀座が復興したのを眺めて、北園克衛は《 街は漸く昔の姿にかえつて来ました。まるで夢のようです。》と感懐を述べたあと、《今日では街を歩く人びとの服装も、商店の飾り窓のきらびやかさも、戦前と変わりがありません。街を歩いていると、ジヤツク・フアツトやクリスチヤン・デイオールの店から買つて来たのかと思はせるような、素晴らしいコスチユウムを着た女の子たちが歩いています。戦前に比べて女の子たちのコスチウムの趣味は、大へん洗練されたようです。色彩やフオルムの感覚も、たしかによくなつて来ています。それと同時に女性が、自分たちの社会的地位を向上させることを、絶えず意識し、努力しているように見えることは、働くことを恥じないようになつたことと共に、大変良いことだと思います。女性が奴隷化しているような社会や国家からは良い文化は生まれません。また真に偉大な人間も生まれないというのが本当です。繰り返して言いますが、女性こそは本来人類の文化をつくる人間であります。》
これは1953年の放送ですから、ここでいう女の子たちが、当時二十歳だとしたら、現在七十七歳の喜寿ですね。文化勲章あげたっていい年齢(いらないだろうけど)。当時は朝鮮戦争が終わった頃で、日本は軍需景気という漁夫の利で儲かっちゃって、いよいよ資本主義の経済戦争が始まる時代でしょう。
北園克衛は、女にひきかえ男にはキビシかった。《 男性は単に口髭やなんかを生やしているに過ぎません。奴らはいつも理由なしに威張りたがり、全国到るところに二宮金次郎銅像を建てて郵便貯金を奨励するかと思えば、ひそかに大砲や爆弾をつくつて大戦争をはじめ、たちまち元も子もふつ飛ばしてしまうのであります。奴らこそは将に矛盾の権化であり出鱈目の大統領であります。人類の歴史が始まつてこの方、一世紀として戦争のなかつた世紀はないのであります。》
この草稿から五十七年もたっているのに、日本人はあんまり変わっていないような気がするな。昨今のニュースを見ていると、戦争をしたがっている連中ばかりがテレビに出てるようで、中国でも経済でもスポーツでも文化でも、とにかく眼前の敵に打ち勝って、勲章やメダルを貰いたい顔つきの男ばかり。戦後からずっとアメリカの傀儡政権であるところは、今の民主党でも同じことだしね。
北園克衛は、自身のことをこう話していました。《 まことに、残念なことでありますが、斯く語る私も実は男性なのであります。しかし私は戦いませんでした。私はただペンを取つて、詩を書き、ブラツシで絵を描いたばかりであります。これから先も、それいがいのことは何もしたくないのであります。》