木の葉猿と佐四郎

osamuharada2010-10-27

また、ぼくの愛玩している人形のお話。これは熊本の郷土人形「木の葉猿」を、大正時代の久保佐四郎が写したミニチュアです。本物の「木の葉猿」は、起源が奈良時代くらいにさかのぼるというから、くだんの長崎「古賀人形」(江戸時代から)より千年!も古いんだね。古賀人形や、その原点である京都「伏見人形」などは、型に粘土を押しつけて成形する大量生産スタイルだけれど、「木の葉猿」は、ひとつずつ手びねりで作り、素焼きをして彩色するものなので、型というものがない。つまりは見て覚えて伝授されてきたわけですね。もしかしたら古墳時代に埴輪を作っていたような人々の流れから出てきたのかもしれません。驚異的なルーツを持った人形といえるでしょう。
造形が、ちょっと不思議ですよね。すくなくとも江戸時代のセンスとは全く違う。現在でも熊本で作られてはいるけれど、人形作家の久保佐四郎が、当時見ていたような現物の「木の葉猿」ではなくなっているようです。ぼくは断然この昔のほうが好きだな。赤ん坊猿を抱いている立ち姿がいいでしょ。遥かなる古代人の感覚を有していながら、抽象的で、なによりモダンな感じがする。ピカソの陶芸にも似ているね。
写した作者の久保佐四郎は、山田徳兵衛著『人形百話』によれば、《 当時の作者としては知識が広かったし、たいへん人柄がよかったので、文人画家などの趣味家に引き立てられ宣伝されたので、佐四郎人形の名を挙げた 》とあります。ますますいいな。徳兵衛さんの述懐は続く、《 私よりだいぶ年齢が上だったが、忘年の友というか、非常に気が合ってゆききした。日暮里に住んでいたので、私の家へ来られる時はきまって芋坂の羽二重団子を買ってきてくれた。こっちが行く時は、氏の好物の魚河岸の弁松のタコの桜煮を持参することが十年も続いたものだ 》と。 戦中に亡くなっているので、調べても詳しいことはわからないけれど、ヤツガレは戦後生まれの佐四郎ファンであります。
前に書いた「佐四郎人形」→[id:osamuharada:20060301]